2024-05-22

SNS正論危険

SNSではお気持ちだけでは叩かれることが多い。だから慣れてくると先回りして突っ込まれないように理論を補強した投稿が増えているがそれって危険じゃないだろうか。


例えば

「夕食後に妻から食器を洗ってくれと言われたが夫は眠すぎて反射的に無理と断った、妻は怒った」


という事象があったとする。

このやり取りをする時間で浮かんだことは夫は精々「眠すぎて動きたくない」、妻は頼みを断られて怒ったということくらいだろう。

ただこれだけをSNS投稿すると賛同が得られないどころか炎上リスクすらあるので自分が正しくなるように後付けで理論を補強する。


毎日朝5時から仕事したらトラブル続き、9時に帰ってきたら専業の妻に食器洗えって言われた。その日は疲れすぎてて流石に断ったら盛大にヒスられた」


こう書けば一定数の賛同は得られるし、更に妻のヒスエピソード自分普段家事参加エピソードを数個付け加えれば炎上リスクはあるが同時に同情の声が得られるだろう。

ただこの行為によって大きなデメリットが発生することを忘れてはいけない。

それは自分が付け加えた補強論と賛同の声によって自分が断ることが最初から正しい選択であったかのような気持ちになるということである

最初の「眠すぎて動きたくない」という気持ちだけなら正しいも正しくないもないし次眠くない時はやろうという気持ちにもなるかもしれないが、やらなかった自分は正しいと論理立てて賛同を得ることで次も断ることが正しいかのような錯覚に陥る。


これは妻側視点で補強しても同じことで

「まだ幼い娘の世話で手が離せなくて食器洗いを頼んだら、食後片付けすらせずソファで横になってる夫は一言『無理』でそのままゴロゴロ


こう書いて夫のダメエピソード育児苦労エピソードを数個付け加えば同情の声が得られるだろう。

これによって断られて怒ったことが正しい気持ちになって更に夫への怒りが増強するかもしれない。


ただ最初に戻って考えると

「夕食後に妻から食器を洗ってくれと言われたが夫は眠すぎて反射的に無理と断った。妻は怒った」

こんな1回でしかも身内のやりとり、状況によってどっちが100%正しいとか間違ってるとかまずない。次も頼んだっていいし、次は手伝ってもいい。

そしていくら背景を補強して外野賛同の声を上げても夫の頼まれた時の感情も、妻の断られた時の感情微塵も変わらない。

それをSNS賛同を得るために理論を補強したためにひっこみがつかなくなる、

下手すれば「私は感情に任せて断ったり怒ったりしたんじゃなく、最初からこういう多くの人が賛同する正論に基づいて行動したんだ。」と錯覚さえするかもしれないが、続ければ人間関係が壊れる結果にしかならないだろう。



ここまでは例が1つの事実だったので話は簡単だったがこれがXで度々盛り上がる男女論、人種論、何らかの陣営論になるともっと話は複雑になる。

まずネットに転がっている膨大な事実の取捨選択からバイアスが入る上にそこから自分の都合のいい理論を生み出すなんて簡単、多少牽強付会ガバっても同じ陣営の人からたくさんの賛同の声をもらえる。

繰り返せは「こういう多くの人が賛同する正論に基づいてSNS書き込みをしているんだ。」という状態に陥りやすくなる。でもその裏にあるのは大体上の例と同じく単純な感情なんじゃないだろうか。

からこそTLやお勧めに流れてきた話題に反応する前に一拍置いて「まず無数の話題の中でこれが自分琴線に触れて書き込みするほど気になるのはなぜか」と考えたいと思っている。

根底感情があるのを忘れていかにも正義であるような言論を振りかざすのは現実でもSNSでも怖いと自戒して書いておく。

 

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