2024-05-11

勉強はきっとウチらに平等だ!」とか生活保護東大博士の方とか

勉強はきっとウチらに平等だ! https://ynjn.jp/title/14812

生活保護世帯から東大博士号を取るまで① https://note.com/rshimada/n/n058fbbff18c9


教育格差物語について、ちょっとだけ思うところがあるので書かせてほしい。


私の理解では、教育格差物語には2つのタイプがある。

1つは「やる気も意思もあるのに、手段がない。リソースアクセスできない」というもの

意思はあるのに武器がない」。

ある面で潜在的上位層の、立志伝的な物語

環境が不遇で、優秀で志もあるのに時代環境の逆風があって夢を叶えられない、というような、物語になりやすタイプ


昨今ネットで話題になるような教育格差物語は、このタイプが多いんじゃないかなと思う。


ただ、私の考えでは教育格差物語にはもう1つタイプがあって、それは

そもそもやる気も意思もないし勉強なんて好きじゃない」という人の物語

意思のない個人」として、流れ流れて現代社会で生きづらくなっている人の教育格差物語

さっきの立志伝を潜在的上位層の物語とするなら、こっちは『C層の子物語』と言えると思う。


こちらは当人別にこうなりたいと思っていないかそもそも物語にならない。語られないから苦しみの構造が知られない。

まれに世に出ても「意思を持つかどうか」は社会構造問題だと見なされがたい。

ただ、このタイプも、よく見ていくと家庭環境や生まれが要因で「意思を持つ機会がなかった」側面があることに気づく。


私は「意思が持てる」って運に左右される側面があると思う。

意思が持てる」という幸運に見放された人というのは存在する。そういう格差も十分苦しい。


後者は本人が問題無自覚で、問題構造に気づけてないこともままある。勉強教育によって状況を改善しようという発想自体がない。

なんだったら勉強を苦手なもの押し付けがましいものとして疎んでいることも少なくない。むしろ教育的なものから距離を置こうとする。

(このあたりは教育社会学の大家苅谷剛彦氏が「"勉強しないこと"がアイデンティティになる環境」」みたいな話で書いてる)

実際の公教育現場で見られる教育格差は「意思があるが武器がない」タイプは少数で、多くはこの「意思武器もない」タイプだと思う。物語性も希少性も薄いか話題にならない。


最近教育格差個人物語で注目されるのは『意思があるけど武器がない』方ばかりなように感じたから、ここに書かせてくれ。

  • それは知的障害グレーゾーンの文脈で議論されており、機会の格差の話ではありません。

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