2024-05-01

ハンサム落語」に失望した愚痴

けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。

推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真衣装も素敵で、落語俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。

舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台のものはとても楽しめたし行って良かった。演出音楽美術もすべてが最高だった。

ただ、共演者に何人かへっぼこ役者いたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。

彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。

古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。

とにかく落語登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。

そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。

古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。

リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。

私の推し初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。

そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまいしか企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者役者でもちゃん落語として見られる仕上がりになる。

真面目に演じればそれだけできちんと面白ものになる舞台だ。しか落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。

へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。

から推し活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。

舞台のコンセプト、企画演出脚本美術音楽衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるとき演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売スタッフまで感じが良かった。

からこそ、悲しい。

へっぼこ役者たちはこの舞台常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。

私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ

あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。

どんな漫画ドラマ小説舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。

多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。

今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。

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