2024-04-30

苦手な先輩

会社行政処分を受け、再発防止策の一環として関連法令資料

読み合わせ会が半年にわたって行われた

難解な用語も詰まらずスラスラ読めたのはその先輩と私だけだった

おちゃらけてばかりで私の最も苦手とするタイプだった


会社の周年記念で立食パーティーがあった

先輩はいもの調子であちこちで場の盛り上げ役をやっていた

私はそんな先輩を冷めた目で見ていた

私が一人、ワインを飲んでいると、先輩が近寄ってきた

先程までと違い真面目な顔で、嫌な予感がして正直逃げたかった

少し身構えていると、先輩は声をひそめて

もしかして君って、ほんずき?」と言った

周囲の騒がしさもあって、何を言われたかからなかった

読書は好き?」先輩は言い直した

「ああ、はい…」私が答えると

「やっぱりそうか」

はい…」

「いつもどういうの読んでるの?」

「えっと…」

「好きな作家はいる?」

「えっと…」

「いい、いい、無理に言わなくて。ところで、〇〇の小説は読んだことある?」

先輩は芥川賞作家名前を出した

「いえ…」

「そうか、一度読んでみて欲しいな」

はい…」

「よかったら一冊貸そうか?今度お試しに一冊持ってくるから

はい…」

「よし、わかった」

先輩はいもの調子に戻り、にっと笑って親指を立てて立ち去った

あれは一体何だったんだと私は思った


翌日、私が自席で一人お弁当を食べていると、また先輩が真面目な顔をしてやって来た

「昨日の約束」そう言って、文庫本を一冊、私の机に置いた

私の嫌いな分野が題材で、手に取ろうとさえ思ったことがない作品だった

「もし合わなかったら無理して読まなくていいから」

それだけ言うと先輩は立ち去った


家に帰って早速ページを開いた

人物の繊細な心理描写が巧みだった

読みながら何度も胸がつまり、読み終えてからも余韻が残った


ありがとうございました」私は本を返した

「うん。どうだった?」先輩は恐る恐る尋ねた

「凄く良かったです」私が答えると

「ほんとに?他の作品もあるけど、貸そうか?」やっぱり恐る恐る尋ねた

「いえ、これから自分で買います

「え、そんなに気に入ってくれたの?」

はい

「嬉しいなー。会社でそういう話できる人いないからさー」

「ああい小説、お好きなんですか?」私が聞くと

「うん。そういうタイプじゃないよね」先輩は照れながら言った

「よかったら君のお勧めも教えて」

   :


それからも先輩は会社では相変わらずおちゃらけてばかりで苦手だけど

家では静かに一緒に読書を楽しむ仲だ

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