一部の反AIが掲げる「AI生成物に限定して、著作権の非親告罪化」に対して、人間による創作物にまで範囲が拡大し、表現の自由萎縮することへの危惧から反対する人が、AIに対して中立的な立場の人にまで見られるけど、今のようなAI利用を縛る法も倫理もない状態で、知的基盤のレベル合わせができるまで待ってればどこまで被害が拡大するか分かったもんじゃない。
表現の自由を犠牲にすることで、今の無秩序なAI利用に歯止めをかけられるのであれば、それは甘んじて受け入れべき必要な犠牲じゃないかな。
そもそも昨今の表現の自由は、さいたまのプールのあれで顕著だけど、性的搾取や、公序良俗に反する行為を正当化する文脈で使われる機会の方が多く、社会秩序を乱す概念と化している以上、表現の自由が適用される範囲をもっと制限すべきって話でもあるけど。性的搾取を正当化する為に使われる表現の自由っていりますか?
とりあえず議論の前提となっていると思われる部分に同意できないんだが、それぞれ例を示してくれませんか。 あ、「私のタイムラインの中」とか「私の友人」みたいなエコーチャンバ...
これがちょっと前に騒がれた『特権階級意識』ですよ。 都合良く国が法律を作ってくれ、都合の良く運用されると思い込んでる。その能天気さは逆に羨ましいね。 ちょっと考えれば分...