デジタル化したせいで余計な作業が増えているという記事を読んだ。
https://blog.tinect.jp/?p=86085
自分は80年代生まれのオッサンで記事の著者よりも年配なのだが、これっぽっちも共感できなかった。と言うのも社会のデジタル化が進んだ時代でなければ、まともな生活を送れていなかったであろうと断言出来るくらいデジタル技術に助けられているからだ。
子供の頃より発達障害の気があったのか、とにかく紙を使った事務作業的なことができなかった。手書きの文字が汚すぎて第三者が読めない、学校で配布されるプリント類はまともに整理できないわ、授業の板書はただの走り書きになって見返しても意味不明になるわと、とにかく書類が扱えなかった。手帳を買ってもまともに記録できなくて予定管理もダメダメだった。
そんなわけで、高校までの授業態度を加味した学校の成績は壊滅的だったが、勉強自体はそこそこできたので大学進学はできた。大学生になると授業のレポート作成にPCを使えるようになって生活が一変した。壊滅的だと思っていた事務能力が、PCのおかげで飛躍的に向上したのだ。
まず、まともに資料が作れるようになった。手書きのノートと違って、誰でも美しい文字がかけて何度でも修正が効く。メモ帳でテキスト形式の文章を作っておけば、後から内容を検索して見返すことができる。PCのおかげで高校生まで苦手意識のあった資料作成が得意分野に変わったのだ。
次にデータ管理。PCの検索機能やソート機能には本当に助けられた。ファイル整理を一切しなくても、全文検索や拡張子別に並べて日付ソートすれば目当ての資料が見つかるというのは最高すぎた。紙だとそうはいかないので大変だった。
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数ヶ月後に別の書類が必要になった時、前回の捜索でひっくり返したせいで資料がぐちゃぐちゃになって見つからずさらにひっくり返して探しまくる
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その次、別の書類が必要となった時にはさらに棚が混沌としておりもはや発見困難…
というような悪循環を繰り返していたので、デジタル化によってようやくまともに資料管理ができるようになったのだ。
就職活動のときもデジタル化に助けられた。そもそも手帳が使えない人だったので、PCからでも携帯からでも入力できるGoogleカレンダーがなければスケジュール管理が不可能だった。履歴書だって、手書きで作ると字が汚すぎて門前払い喰らっていたかもしれない。
学生の時点でこうなので、就職してからはなおさらである。紙ベースで仕事する職場だったら、入社直後に社会不適合者のレッテルを貼られてしまい、干されてパワハラ受けて鬱で退職していたかもしれない。今の職場で15年以上働き続けて、いつしか管理職になり、今では部下を持ってそこそこ仕事が出来ているのはデジタル化のおかげとしか言いようがない。
仮に自分が昭和や平成初期に社外人になっていたかと思うとゾッとするので、デジタル化が進んだ時代に生きることができて本当に良かったと思っている。そんなわけで、この手の社会のデジタル化の議論をする時は、効率の面だけでなくて発達障害の気のある人の救済になっているという側面についても、もう少し注目されても良いのではないかと思う。