2024-03-28

歴史誕生する瞬間に立ち会っている

鳥山明が亡くなって、色々な所で彼の武勇伝が語られるようになっているのだけど、正直言ってどれが本当でどれが嘘であるか、もう判断ができない。

なぜなら、本人は物言わぬ人になってしまたからだ。

今まで真偽不明だったエピソードも、本人がいなくなってさえしまえばあとは好き勝手語ることができる。

ついさっき、「ばいちゃ」の語源のようなtweetが流れてきた。

これなんて最たるもので、確かに説得力はあるのだけど真実よりもわかりやすものを好むという認知バイアスである可能だって否定できない。

それなのに、そこにぶら下がるコメントには鳥山明を称賛しつつも歴史肯定する内容が多くぶら下がり、それを見た多くの人がしたり顔で「ばいちゃ」の語源について語るであろうことが容易に予見できる。

まさに嘘歴史爆誕の瞬間である

こうやって真実は闇に葬られて嘘が上塗りされていくのって、故人が誰かが語りたいだけの別人に上書きされていくみたいで悲しいね

悲しい。そんな気持ち共感してもらいたくて書いてしまった。

結局は人の死なんて誰かのエンタメしかないよね。さみしいなあ。

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