こんな難しい本編集の時点で「売れなそう」と判断されて終わりにならないものでしょうか?出版社も営利企業には変わりませんから手に取ってくれなそうなほど難しい本など売ろうとは思わないと思います。
ヘリングも大作家ですから同人誌として作品を出して、ネームバリューでとってくれた人が難しいけど面白いと評価したのが草の根から広がって今の文学的地位につながるという流れだったらわかるのですが、「商業出版された」というのが不思議で理解しがたいのです。
なぜ当時の出版社や出版のゴーサインを出す勇気を持てたのでしょうか?
また現代の出版社に、こんな純粋に文学的(言語でいかなる表現が可能かという意味で学究的)で、面白さなど度外視してるような本を出版する余裕はありますか?
国内でそれを可能にするのが芥川賞ノミネートシステムなんだよね 別にエンタメ的に面白いわけではない純文学作品は今でも商業出版され続けている
芥川賞のって別に面白くないとしても取り立てて難解なのもないじゃん 純粋に言語でどこまでできるか自己充足的に探究したものといえるようなものでもなく、読者の受けを全く意識し...
正直好みもありそう 俺は翻訳モノは必要以上に難解にとらえられてると思ってるし、テキストいじりだけが文学ではないとも思う