2024-02-18

anond:20240218115110

じゃあ、定義が先にあって、「定義」を書いた記号列はその表現に過ぎない別物なのであり、表現が一意でないとしても定義が一意じゃないわけではないという考え方があるけど

定義」と「表現」が別物なら、人間言語思考するという前提に立つとき定義者が定義を構築するまさに一部始終において「表現」すなわち定義のものだと思うんだけど。

逆にここでも表現定義が別物だというなら、その定義者の頭の中の「表現」と切り分け可能に紐づけられた「定義」にあたる思考内容部分は一体どんなものなの?数学者が忌み嫌う、感覚依存の何かじゃないの?

定義表現が同じ→表現が必ずしも一意とはいえない

定義表現が別→定義数学者あいまいとして退けてきた感覚要素を持つものである

記事への反応 -
  • お前の論理でいくとそういうことだろ 気が狂った人が「これは35センチではない」って主張してくるかもしれんのだから

    • というより、客観と呼べる立場として「事実」と呼ばれる概念はあるだろうけど、何が事実か、たとえば「35cm云々」が事実なのかが多数決によってるって感じでは? 事実は多数決という...

      • それで言うと、推論規則は事実でも、 「¬¬¬¬¬A→Aと主張する人をどう説得するか」みたいなのは人間の意志だから、 推論規則の厳密性とは別の話なんだよな

        • 別の話と分けて考えられると言い切るには無理があるよ思う。 虹に対して認識する色の数が言語によって異なる話じゃないけど、数学者が定義を構築するとき記号列、といっても記号は...

          • 「正気な人間に対して正しく一意に定義を伝達できるかどうか」と、「気が狂った人間がそれをどのようにねじ曲げて認識するか」は別の話だろ その正気をどのように保証するかは究極...

            • じゃあ、定義が先にあって、「定義」を書いた記号列はその表現に過ぎない別物なのであり、表現が一意でないとしても定義が一意じゃないわけではないという考え方があるけど 「定義...

              • 定義と表現が別物なんて言ってない 厳密に表現する手段として記号論理なり推論規則なりが定められていて広く認められてるのに対して、 「¬¬¬¬¬A→Aと曲解してくる人間の存在...

                • 別にあなたが別物と言ってるとはいってないよ?「こういう考え方にはどうお考えか」といっただけだし。 考える範疇を数学から哲学ということにしたところで「数学の定義は厳密か」...

                  • 「定義」が一意だとしても「表現」が一意でない、というのはその通りだが、 (正気な人間を想定した場合に)その「表現」から「定義」が一意に導けないのであれば、それはその定義を...

                    • 定義と表現が別ではないというなら、そもそも数学者が定義を考える最中の頭の中の、定義にあたる思考内容は、やっぱり記号列を想起してるときの記号列そのものってことか? ならた...

                      • 表現は一意ではないのだから、その人の中で誤解無く解釈が成立するのなら、思考は記号列でも自然言語でも構わないと思う そうではなく、書き換えるという動作がなんであるかを身...

                        • そもそも 全ての自然数の加法による計算は、感覚ではなく公理、定義から導出出来るものであるということの一例と私は考えています。 1+1=2は直感的に正しそうだけど証明可能か不...

                          • 横から失礼します. 貴方の主張が何となく分かりはじめましたが, 変わらずその主張は数学を持ち出すことなく可能であるように思われます. むしろ数学の言葉をあえて用いることで理解...

                          • 記号操作が一意に定まらないとするなら、それは推論規則や公理系が成立しないことと同義だと思う 数学者も最も基本的な体系が証明できないことは認識しているわけで、「特定の規則...

    • 気が狂った人として言わせてもらうと、 35センチなる量は近似値であって 現実には存在しない。 人間の使う数字(というか記号全般)は連続量を表現できないので。

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