記憶を消してやりたいゲームという話は良くあるが、それはエンタメ消費としての話であって、教養として自分の根深いところに影響を与えたゲームはそういうわけにはいかない。
記憶を消したら、自分の中の常識、考え方のベース部分が消去されることになるからだ。
そういう意味で、子どもの頃に強い影響を与えられたゲームというのは、オペレーティングシステム、またはOSのパッチのようなものだ。
自意識とはそれらソフトウェアの上に成り立ち、その意識が現実を認識する。ゲームの上に現実が駆動する。無意識的に虚構は現実を超えて存在する。
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