30代後半で出会いもなくてもうどうしようもなくて、老舗の婚活サービスに登録しようと銀座のセンターに出かけて行った。
そこでアンケートに延々答えて、その結果からカウンセラーの診断みたいなのを受けて、お値段とか期間とかセックスしちゃダメとか色々交際ルールの説明をしてもらって、「では最後にもう一度規約をご確認いただき、ここにサインをお願いします」というところまできて、いや、やっぱりやめますと席を蹴って帰ってきた。
理由は、自分が単なるデータのフローになってしまうように感じたから。
自分は仕事で、市場データやセールスフォースの取引データなんかを見て、この商材はどんなターゲットに売れるか、だとか、案件の成約率を増すにはどうすべきか、だとか、そんなことばかりやっていた。いまこの場でアンケートに答えて分析された自分というのは、まさにそのデータのひとつだった。個人ですらない。様々な属性の集合体。この属性とあの属性はマッチ率が高く、別の属性情報を加えるとスコアがこうなって……という感じで、自動的にプロセスされていくだけの存在。
そして会場の隣の部屋では、まさにそのプロセスの実体化みたいな「婚活パーティ」が繰り広げられていた。男女が5分間隔ぐらいで顔を合わせて、話をして評価する、そんな仕組み。
「寂しさ」、「人恋しさ」、「誰かを好きになりたい」みたいな動機が根本にあってここに来たのに、なんでバラバラのデータとして処理されるんだ。
40手間になってすごく青臭い感じだが、怒りが湧いてきた。これはちがう、人間として人間を好きになろう。次に会った人を好きになろう、ダメならそういう人生だ。そんな風に思い込んでその場を離れた。そして、その後これは本当にラッキーなことに、自分と同い年の女性とたまたま、少し会話する機会があった。呪文のように「この人を好きになろう」と思い込んで、えいやでLINEを聞いて、「今度上野の美術館で絵を見てみようと思うんですけど、興味ありますか?」と声をかけてみた。
彼女は、正直自分の好み(だと思っていた)のルックスとは対極だったし、稼ぎがあるわけでもないし、性格も色々難ありだと思えるところもあった。でも、不思議なことに「好きになろう」と思い込んでると、その人の良い面の方が常に上回って感じられるようになった(と、振り返って思う)。同時に、自分にも難があるのが次々にわかった。マンスプしがちだし、気が付くと洗濯や掃除をやらせちゃうところがあったし、喧嘩して泣かせるようなこともあった。そういう自分が凄く嫌で、次は変えよう、好かれようと思った。そう思ってる自分が不思議なぐらいだった。
で、結婚して5年経って、いまでも朝出かけるときにキスするぐらいの仲の良さではいさせてもらっている。
出会いはラッキーだったが、結婚まで持ってくことができたのは、婚活サービスへの怒りが原動力だったのかなと今でも思う。それに、お互い40手前で後が無かったし。