字下げくん、数検また受けないの🥺
自分の中でダンジョン飯って「アニメ化を待望されていた超話題作」みたいな感じのイメージで、それはもう面白いのだと期待していたわけよ。
で、実際に3話まで視聴してみて、えっこんなもんなの!?とビックリしている。
動く鎧が貝類みたいな感じとか、スライムは内臓ひっくり返ってるとか、そういうのは「へー面白」って感じだったんだけど、
他はなんというか『魔物を食べる話』も『ダンジョンで生活する話』も、最近すごい飽和気味なやつで、どうにも新鮮味がない。
『ゲーム世界に現実的な仕組みをつけてみた』的ノリのディティールが深そうなのは何となく察せられるんだけど…でもそういう作品自体、めっちゃ沢山ありますよね?って思ってしまった。
その上魔物食とか、マジで小説家になろうとかで流行りまくって陳腐化してるような話が主軸なんだ!?となってしまったのがビックリポイントかなと。
オレの ADHD 視点から見たらなにもメーワクなど掛けていないことがほとんどだ。
例えば目を見て話したり挨拶したりするなんてのは何の意味もない健常者どものただの動物的習性だろ。
目を見なかろうが挨拶しなかろうが ADHD 視点から見たら何の問題もない。むしろ ADHD 視点から見たら、無意味な動物的習性から自由になった進化した人間になれていないのが健常者どもだ。
その話題で以前Vtuberたちが、お絵かきAIで絵師は終わらないよ!と主張してたのを思い出した。
絵のクオリティじゃなく、ツイッターとか放送とかで滲み出る絵師の人間性をファンは推しているから、みたいな話だった。
でもそれってアイドル売りですよね、人生を切り売りしてる、絵じゃなく。
表に出たくない商売絵師たちは、結局生き残れないじゃん、、、当時思った。
文学界が正解対応できたのは、あくまで作品の質だけを評価してるからじゃないかな。
人間である作者がどうとか、いつどうやって書いたみたいなドラマ性じゃなく、出てきたもののクオリティだけ冷静に客観的に見るのが文学なのだ、のような感じ。
なぜそれがおなじことじゃないのかよくわからない
くわしいなあ
漫画家の篠房六郎とか、ドラえもん映画のキービジュ描いてる人とかも反AIだよ
漫画は手間がかかるので競合しなさそうだが、「なんかきれいな一枚絵」が求められるキービジュはAIでやられちゃうよなあと思いました
ゆるかった
身分証確認すらないので、悪用しようと思えば架空名義でも作れる勢いだった
自分も、本名、母方の旧姓、名前の文字違いで祖父に口座作られてて各300万とか入っててひっくり返った
下手したら引き出せなくなるところだった
なにをいってるのかよくわからない
昭和なんてゆるゆるに決まってるわよ