もう20年以上前の話になる。荒れたと言っても、先生に歯向かう、言うことを聞かない程度で、今思えばかわいいものだった。
反抗したのはA君とB君。A君とは家が近く、1年生のころから仲良く遊んでいた。小さいころから剣道をやっていて、とても背が高く、足が速く、頭も良くてかつおもしろい子だった。B君についてはよく覚えていない。学校では割と仲良く話していたが、学校外で一緒に遊ぶことはなかった。B君も割と体は当時から大きめだった。
小学3年生でクラス替えが行われ、私はA君・B君と同じクラスになった。担任は40代くらいの男の先生で、特に問題なく1年間を過ごした。小学4年生になるまで先生に歯向かう児童を見たことが無く、荒れた様子もまるでなかった。
小学4年生になり、担任の先生が替わった。30代半ばくらいの女性の先生だった。割とハキハキとしていて、怒るときには物おじせずにしっかりと怒るタイプだったが、今思えば「口うるさいお母さん」みたいな先生だった。若めの女性であったこと、体罰がなかったこと(当時はもう体罰は時代遅れ、という雰囲気だった)、お母さんみたいなタイプだったことが、周りよりも少し早く成長期を迎えた二人の反抗心を呼び起こしてしまったのかもしれない。
最初に反抗したのはA君だった。最初のきっかけはわからない。注意をする先生に口答えをする、歯向かう、無視する、言うことを聞かないといった、まさに反抗期の男子が母親に歯向かうそれに似ていた。その様子を見たB君も同様の行動をとるようになり、いつしか二人はその学校の問題児となった。二人が問題児となって以降も、先生はめげずに立ち向かい続けていたが、いかんせんアプローチの方法が最初から変わらないため、特に改善の兆しが見えないまま月日は流れていった。なお、期中に二人が校長室に呼ばれ鉄拳制裁をくらう(最初にB君が殴られ、それを見ていたA君はよけることができたらしい。A君とB君が逆かもしれない)こともあったらしいが、その二人の態度が変わることは無かった。
二人とも似たような行動をとっていたが、どちらかというと主犯がA君でB君が追従者といった印象だった。A君はもともと芯のある人間で、自らの考えで主体的に反抗している印象があり、そこには当時の彼なりのフィロソフィーがあったと感じた。一方B君にはそのような印象が無く、なんとなくむかつくからA君の真似をしていた、程度の印象だった。これは卒業以降の二人の歩む道の伏線でもあった。
二人が問題児となって以降も、クラスの運営は(ほかの児童目線では)問題なく続けられていた。二人は担任の先生に反抗するだけで、授業の邪魔をしたり他の子をいじめたりといった周囲への妨害がなかったからである。というか、その二人を含めクラスの男子は基本的にみな仲良く1年間を過ごしていた。そのため、その二人の反抗をスルーすればクラス運営は機能していたように思う。
ただ、みな仲が良かったこともあり、同じクラスの他の児童(特に男子)へは悪い影響を及ぼしていた。二人のような表立った反抗はしないものの、先生の話を話半分で聞き流す、誰かが怒られていると別の子が「短気は損気~」なんて歌をわざと先生に聞こえるように歌う、など男子を中心にうっすらと先生に歯向かう雰囲気が醸成されていった。なお、女子集団には特にそうした雰囲気は感じられなかった。
前述の通りこれまで先生に歯向かう友達を学校内で見たことが無く、私はそれまで、先生(学校側)=絶対的存在とみなしていた。先生に反抗するなど夢のまた夢と考えており、そのためこの二人の行動は衝撃だった。そんな私も周りの雰囲気に流され「この先生むかつくな」など軽い反抗心を抱いてはいたが、一部の友達のように反抗を匂わせる行動はついに最後までとれなかった(びびっていたのである)。
小学5年生になり、クラス替えが行われた(このタイミングでのクラス替えは例年通りである)。私はA君と同じクラスになった。B君は別のクラスになった。4年生の時に担任の先生は他の学校へ異動となった。私とA君のクラスには、新たに別の学校からきた男性教諭が担任に就いた。当時40代半ばで中学教諭も経験しており、背は低いながらも厳しい先生であった(なお、この先生が私の父親の同級生であることが後日判明する)。B君のクラスにもおそらく男性教諭があてがわれただろうが、よく覚えていない。
5年生になって以降、A君とB君は急におとなしくなった。今思えば、この男性教諭はA君への刺客だった。A君とB君がお互い離れ離れになったこと、それぞれ厳しめの男性教諭が担任になったことで反抗的態度をとりにくくなってしまったのだろう。5年生以降のA君の様子はむしろ優等生寄りで、赴任時にかなり身構えていたであろう男性教諭は拍子抜けしたかもしれない。そして特に問題を起こすことなく、二人はそのまま小学校を卒業し、私とその二人は地元の同じ中学校に進学した。
中学生になってからの二人はまったく別々の道を歩んだ。先にB君について話すと、いわゆる「不良」になった。数世代前にめっぽう荒れた中学校で、不良自体は当時もまったく珍しくなかった。引き続きB君とはたまに話をするくらいの間柄だったけど、がたいがよくたまに人を殴っていたので「殴られたら怖いな」と思い内心びびっていた。中学校卒業後の進路についてはよく知らない。高校に進学したのかどうかもわからない。
A君は、小学5年生の「更生」路線を中学でもそのまま続けていた。引き続き頭がよく成績も優秀、さらに生徒会に入りついには地元の進学校に推薦で入学してしまった。中学時代も引き続き仲良くしていたしB君みたいに周囲を怯えさせるような人でもなかった。普通の「いいやつ、おもしろいやつ」で、もし中学からの友達が彼の小4時代の話を知ったら多分びっくりしていたと思う。本当にあの1年間だけだった。たぶん、早く到来してしまった反抗期とあの先生が悪い意味でうまく組み合わさってしまったんだと思う。
私はA君とは別の高校に進学し、それから連絡もとっていないため彼のその後についてはよくわからないが、高校卒業後は東〇電力に入社したらしい。てっきり大学受験をするのかと思っていたため、少々驚いたのを覚えている。B君についても詳しくは知らないが、中学の同級生と結婚して子どもがいるらしい。
思い出話はここまでである。特にオチが無くて申し訳ない。年末の帰省準備をしていてふとA君のことを思い出し、書きたくなってしまった。A君はいま何をしているのだろう。芯のあるしっかりした人間で柔軟な思考も持ち合わせているから、問題無くやっているとは思う。もしA君がこの文章をみたらすぐに自分のことだと気が付くと思う。書き手についても大体察しがつくだろう。
今の彼にとって、あの1年間とその1年間が彼のその後に与えた影響をどう考えているんだろう。中学時代も話題に出したことはあるけど「あの先生がうざかったからね~w」くらいの話をした記憶しかない。30歳を過ぎた今なら、その「総括」もできているんじゃないだろうか。私個人の勝手な考えだけど、あの1年間は彼の精神的成熟に多大に貢献したと思う(当時の先生は不憫に思うが)。彼がいまどのように感じているのか、一度話をしてみたいものである。