参議院議員を一期務めた談志の落語を聞いていると、当時はまくらに政治関係のことをよく話している。
自身の酔った会見だとか不適切発言だとかの他に、自民党は持つのかどうか聞かれる、みたいなことを話している。
その頃は生まれていないから、どんな感じだったのか全く知らないけど自民党が崩壊するかどうかの危機があったらしい。
ロッキード事件後の1976年12月に行われた第34回衆院選で自民党は前回から22議席減らしながらも福田内閣が生まれた。
福田赳夫は衆院を解散することなく自民党総裁選に負けて、1978年12月に第一次大平内閣が生まれた。
大平内閣のもと1979年10月に行われた第35回衆院選では減らした議席を回復することはなかった。
談志のまくらで政治の話、自民党はもう終わりじゃないかみたいな話がよく出てくるのはこの前後あたりだと思う。
1980年6月の第36回衆院選の選挙期間中に大平総理が急死したという。
この時、自民党内で次期総理大臣が誰なのかも決まっていなかった。
その当時の雰囲気はわからないけど、恐らく自民党内でわいわいやっていると自民党への票が増えるらしい。
その後も自民党内でわいわいやることがあり、最後にそれをしたのが自民党をぶっ壊すと言った小泉政権だろう。