あんまり言及されないんだけど、「ヒカルの碁」と「デスノート」って画作りのパターンが同じなんだよね。
小畑健の、超リアルな書き込みと映画みたいな望遠のカメラワークで描かれる「普通の日本の風景」の中に、ひとつだけ異物が混じってる。
ほとんどの場面が、常識人が常識的なことを喋ってるだけなのに、その後ろに変なものが描かれてるから、その違和感で目が惹き付けられる。
「ヒカルの碁」と「デスノート」は、佐為とリュークって異物が混じってる以外は、ほんとに青年誌的なリアル劇画なのに、そこだけのために少年漫画になってる。
原作が違っても、この二作こそ「小畑漫画だな」って感じがするのは、この特性が光るため。
ただのファンタジーや現実的な人間しか出てこない話になると、この面白みがないぶん、逆にキャラクターが記号的になったりするのが小畑漫画。