アニミズム的な見地から見たヴィーガンに興味深い事例が一つ。
X(Twitter)でスーパーの精肉売り場の画像に、透明度を上げた動物の画像を合わせて、動物の魂が漂っていて云々で食肉を批判しているんだけども。
魂が漂うのであればそれは屠殺された工場なりであって、すでに部位ごとにバラバラになってパック詰めされた精肉に魂が宿っているというのであれば、
それは魂と心の根源が身体の部位そのもの、それぞれが完全な形として宿るっていう発想になるので、一体どういった考えからそういう風に至ったのか知りたかった。
聞いたらブロックされたから未だにどういうなりたちなのかは分からないけど。
Permalink | 記事への反応(2) | 17:19
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丑の刻参りには憎い相手の髪を使うだろ 髪や爪でも相手の一部として呪いの媒体となり得るのだから肉の塊は魂に通じるだろう
気持ちが伝わればいいんじゃね?