つい先日、私人逮捕系ユーチューバーであるガッツchが逮捕された。
一方で同じようなことをしていた煉獄コロアキは大バッシングされていた。この二人の違いは何か?
ガッツchを支持する女性の大半は彼が捕まったことによる男のこれで安心といった趣旨のコメントや警察の対応の早さに憤っていた。
一見すると「性犯罪者を野放しにしている」「警察は性犯罪だけ対応が遅い」といった怒りだが、これは彼女たちの本質なのだろうか?
自分は違うように感じる。
彼女たちの怒りの本質は「自分たちが持つ男への暴力性の代弁者がいなくなったこと」ではないだろうか?
自分たちを舐めている存在である男。実際痴漢や盗撮に相手への侮りがあることは否定できない。
しかし舐められてもやり返すことは出来ない。なぜなら多くの女性は男に力で勝てないから。
そんな男が組み敷かれる姿にある種の痛快さを覚えるのではないだろうか。
全然方向性が違うが日本人が大谷翔平のホームランを見た時のような感覚だ。
白人や黒人よりチビで力が弱く舐められやすいアジア人が向こうのどの野球選手より豪快にホームランを飛ばす様は見る者に「やり返してやった」というようなカタルシスを感じさせる。
つまりガッツchのような人を支持するのは「性犯罪者を止めてくれるヒーロー」という建前の裏に「自分たちの持つ暴力性を発露してくれる人」という心理があるのだと思う。
実際私人逮捕系が登場したての頃に「冤罪だったらたまったもんじゃない」「やりすぎ」というコメントに「そんなに怖いなら自衛すればぁ?」という女性の意見が多々見られた。
だからこそ今回の逮捕に安心するのも自衛の一つだと思うのだがそこに憤る辺りやっぱり本質は男が蹂躙されるのが見たかっただけなのでは?と感じてしまう。
夜職とか、自称ASDの底辺とか、自分が虐げられてると思ってる奴だからしょーがない