「俺が悪い方向に想像してるだけで実物見たら結構ええんちゃうか?」
そんな淡い期待もあった。
いわゆる『動くとカッケェ』である。
でもそんなことはなかった。
空々しいリアリティ感。
まるで地獄先生ぬ~べ~の枕返しの回を見せられているようだ(妖怪によって平行世界の未来に飛ばされた結果、自分の見たくない可能性を見せられる話)。
「あの物語がこんな続き方をするはずがないだろ!何も理解できてねえなら作るんじゃねえよ!」
そう思いながらシリーズ構成を見た。
WIKIで調べてみる。答えが出る。ビビる。プリキュア5で担当してるのはシリーズ構成。この人こそが『原作』だ。
誰か止めるべきだったんじゃないのか。
無理やり肯定する言葉遊びの仕方はいくらでもあるけど、それをしなきゃいけないって時点で失敗だとしか思えない。
この企画は失敗だ。
プリキュアシリーズの弱み、それは「バトル描写に時間を割かれるためにドラマパートが希薄になりがち」ということだ。
おジャ魔女どれみであれば1分の変身と魔法シーンを除けば残りは全てドラマパートとして描ける。
「現実に起きた問題をどういった魔法で解決するか」は同時に、「現実の問題にどこまで魔法が介入して良いのか」というドラマに繋がっているのがおジャ魔女シリーズの強みだろう。
だがプリキュアはそうじゃない。
どんなドラマがあろうとその回に登場した怪獣・怪人はやっつけることになる。
敵キャラを殴り倒す流れの中で覚悟を決めるドラマはあっても、それは常に覚悟を決めるためのドラマであり、ソレ以外を描写できない。
おジャ魔女では20分使えたはずのドラマパートが、プリキュアでは15分や10分程度になってしまう。
ドラマの背景説明に5分ほどの時間を使うと考えれば、これはドラマパートが半分になったに等しい差があるのだ。
結果としてプリキュアというシリーズは自然と「濃いドラマを描かなくてもいい物語構成」へと傾いていった。
だがそれでいい。
「暴力によって外敵を排除すれば、あとは人間たちが持ち前の善性を発揮して問題が解決するような世界を描く」という明るく前向きで性善説的な世界観がプリキュアの持ち味だ。
この希望に満ちた感覚、「暴力による問題解決を主軸に起き、それに時間を割かれざるを得ない構造」という弱点をひっくり返し強みに変えたような雰囲気がプリキュアシリーズの強みではないか。
オトナプリキュアはそれを自分から投げ捨てるようなことをしている。
人間が勝手に解決するには大きすぎる問題が世界に溢れていては、プリキュアが世界を救うことは出来ない。
これは大失敗だ。
コンセプトを自分で破壊してみせることで一瞬の映えを得ようとするチャチな現代アート的思想。
これをプリキュアにはやって欲しくなかったな。
大人キャラとかって女児や親の需要に応えてやってるだけだぞ お前みたいなターゲット層じゃないキモオジが勝手に割り込んできて勝手に俺ら負けじゃないって文句付け始めるのクッソ...