何か昔は、生身の女優が褒められるのはムカつくから、二次元の女好きなフリして叩こう、みたいな感じだった。
ちょっと経って、美少女アニメが少しでも増えだしたら、一斉に手のひら返しして、萌え豚―が美少女動物園がーとかほざき出したんだよね。
では!謝礼として100万円を!よろしいですかな!返事がない場合何もさしむけませんぞ!
増田です。ありがとうございます。あのくだりは私は、何というか時空の歪むような怖さを感じました。面白いと言えば面白いんですけどね。
やばい元店員と一緒になるので退職すると聞かされた同僚が、執拗にその元店員も合わせて飲み会に誘ってきたり夫婦箸を贈ってきたエピソードと同じで、純粋な好意や善意に見える行動が、好奇心やら憐みやら蔑みやらといった感情を含むものだと理解できた瞬間の驚きと恐怖みたいなものです。
ヒットしてるドラマや映画とかで、可愛い女優がいたら叩かれまくるのに。
シンゴジラの時も、長澤まさみはボロクソだったのに、片桐はいりは褒められまくる奴。
結局、男だと思わせておいた方が、そういう印象操作するのに得だから、あの手この手で男だとアピールする。
それで男側の立場が良くなりそうなことは、まず全く言わないのに。
その不便になるってのが嘘だった場合に責任取りたくないからクリエイターのお気持ち重視にするんじゃない?
もしインボイス後に実際にエアコン工事の納期が5倍くらいにならなかったら嘘つきと批判されるのは反対派の顔である共産党やれいわになる
どうも。直した
加齢とともに減ってる気はするけどなくなってはいないやでという話
何年かぶりに会う人だった。
すごくお世話になった人。久しぶりに声をかけてくれて、懐かしくてご飯を食べてきた。
変わらないねと言われて、変わりましたよと応えて、簡単に近況を話して、懐かしい昔話をして、帰路に着いた。
帰ったら、恋人が聞いてくれるだろう。
「楽しかった?」そこに他意はなく、私が楽しいひと時を過ごしていてほしいと思って聞いてくれる。私だってそうだ。恋人が出かけたときはそう聞いて、どんな会だったかの話題で盛り上がる。
懐かしくて、久しぶりで、確かにあの頃と好意の度合いは同じはずなのに。
久しぶりに会うという新鮮さはあっても、私はもう、あの頃の自分をとっくに忘れてしまった。
どんな顔をすればこの人の言う「変わらないね」なのか、自分でももうよくわからない。
その人が話す当時のエピソードも、私はいくつかすっかり忘れてしまっていて、代わりに私が覚えているものも向こうはいくつか忘れていて。
なじみの友達と遊んだ後とともまた違う、少しの疲労を感じながら帰りの電車に乗り込んだ。
たまたま隣の方の体臭が私には吐き気を催す恐れがあったので、限界まで耐えてからよその空席にうつった。
嫌だったとか、もう会いたくないとか、そういうのとはまた違う。
でも、なんとなく、それだけ、私の今の日常は、私にとっていちばん居心地のいいもので溢れているのだろうと気づいた。