2023-08-14

成功事例に対して「生存バイアス」って言い切っちゃうのがちょっと怖い

インタビュアー話者も、成功して生き残った存在であることはある程度前提として自認していて、その上で後進にアドバイスしているのではないか

そんな記事に対して安直に「これって生存バイアスですよね」と言ってしまう読解力と想像力のない読者が怖いし、ちょっとバカなんじゃないかと思うことがある。

生き残った理由や要素を部分的にでも参照し、自分生活人生活用できるかどうかを読み取るべきで、

「こいつは生き残ったバイアスで語ってまぁーす!!」と宣言したところでガチ生産性がない。

テレビの前で野球の采配に文句を言う昭和オヤジみたいな格好の悪さがある。


また同時に、ネットには少し調べればそのジャンルにおいて失敗してしまった人、方向転換を余儀なくされた人の事例がでてくる。

それらとの比較検討共通事項の洗い出しをして初めて「生存バイアス」かどうかが意見として出せると思う。

安直に「生存バイアスだ」とコメントすることは、本当の生存バイアスを霞ませる弊害をもうむ。

そのため、私は成功者の意見を見聞きする時は「生存バイアス」という観点は備えつつも一度考えずに、

成功には何をするのが良かったのか(時期・場所含めて)

・如上と関連して、自分に置き換えた際に再現性があるか



観点として持ち記事を読み、必要場合コメントするようにしている。

まとめると、安直に「生存バイアスだ」と思考を巡らせることは、自分の発想や行動を知らず知らずのうちに狭めてしま可能性があるので、

その言語を便利な言葉として振りかざしすぎない方がいいということだ。

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