おそらくこの作品は実世界においての物事のグラデーションや相反することが内面に同居することを理解し、かつそれが創作世界に適応することを許容できる人じゃないと受け止めきれないだろう。
二律背反として象徴的なのは、主人公の基本的な誠実な性格と自ら付けたこめかみの傷である。
こめかみの傷は学友に父の力を向けるための自作自演で付けたものであり、彼の「悪意」の象徴である。
この悪意を内に持ち、見ないふりをしながら主人公はさも正しい少年として行動し続ける。
青鷺に対しても、こいつは嘘つきだと繰り返す。(自分のことは棚に上げていることに自覚がない)
ナツコの捜索に関してもそうで、彼の中にはナツコを嫌う気持ちと受け入れたい気持ちの両方が内在している。嫌う慕うの一色ではないのだ。
物語が進むと、彼はナツコと対峙する。そして真正面から彼女からの悪意を受けることになる。
恐らく彼はここで気づいたのだ。「彼女は自分と同じ」だと言うことに。
彼を嫌いだと言い放ったナツコだが、表の世界で青鷺から彼を救うため矢を放ったのも、眠りこけた彼にカステラを用意したのもナツコなのである。
そしてその石は悪意に染まっている。(恐らく社会における悪意そのもの)
そのうえで大叔父様はその石の中から「悪意のない純粋な石」を選り抜いて主人公に手渡す。
これを使えば、今のような悪意に染まっていない、純粋な世界を新しくお前が作ることができると。
(ここも二律背反を現している。悪意の塊の石であっても数少ない悪意のない石もあるのだと)
しかし主人公は拒否する。自らが付けたこめかみの傷を触り自分の「悪意」を確かめながら。
彼はナツコと向き合うことで知ったのだ。悪意には目を背けず対峙することが必要なのだと。
だから、彼は悪意の世界も悪意のない世界も継がず、それがない混ぜになった元の世界で今後も対峙し続けることを選択したのだ。
そして我々はどう生きていくだろうか。