2023-07-15

看病の仕方が分からない

「看病」というのは、入院したらするものだと思っていた。

自宅にいるけど一人で生活できなかった爺ちゃんちゃんにするのは、「介護」。

どちらにも該当しない人間は、自分の家では特別な扱いは無かった。

 

自分が聞いたことのない病気で2か月間小学校を休んだときも、たとえば食事の内容や家事のローテーションは特に変わらなかった。

強いて言えば、家族旅行に行くとき自分だけ連れて行ってもらえず、家で一人で寝ていた。

なんだか寂しくなって泣いていたら、うちをのぞきに来た隣の家の子田舎というのはそういうものなのだ。)が「増田ちゃんが一人で泣いてる」とその子の母ちゃんに報告し、うちにきて桃缶を食わせてくれた記憶がある。

なので、強いて言えば、看病とは桃缶。

 

病気は寝とけば治る、怪我は唾つけとけば治る、転んだら自分で起きろ、早く起きなきゃ置いてくぞ、という育ち方をしたので、家族病気になったときケアの仕方が分からない。

恋人やその家族病気になると、だいたいこれでこじれる。

直近だと、恋人の親父がやってきて、恋人病院に連れて行き、その後、自分に対して切れた。

「俺も、2回、仕事を休んで病院に連れて行ったんだけどな。

 ○年前まで××大学にいた指導医専門医のいる病院検査して、セカンドオピニオンももらったんだけどな。」

自分は思うのだが、その病院まで自転車で連れて行ったことに対しても切れられた。

恋人の親父は、車に乗せて近所の町医者に連れて行った。

「痛み止めを出しておきます」と言われ、エコーもしなかったらしい。

時間無駄では?

……と思う自分には、看病精神が無いのだろう。

看病の仕方が分からない。

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