ブスの人をブスってあえて口にしてDisっていう人がいるよね。
10代の頃からそうだったし、けっこう大人になった今でもいる。
なんであえていわなくてもいいことを言うんだろうと思ってしまう。
ブスをみるのが相当にストレスなんだろうか。
どうしても気になるのは、恐らく、たいていの場合、
彼らが指摘しているポイントが、俺にとってはとてもチャーミングなポイントだったりしたからだ。
俺はむしろそこがカワイイと思っているのに。。しかも、美人じゃないなら、単にスルーすればいいだけなはずなのに、
なぜあえて存在が気に入らないかのような表明をするのだろうと。
不必要にDisられている子がかわいそうでかわいそうで、最初は単にかわいいと思っていただけなのが、
だんだん好きになっていく、という現象も自分で自分を自己観察できる。これは、、、一種の認知的不協和なのかな、とか思いながらも、
こうして好きという感情が、感情という無垢なものではなくて、Disっている奴へのカウンターとして
バランスをとるメカニズムで社会関係のなかで整理されていった結果なんだな、と思えば
恐らくブスと認知している奴も生来の感情ではなく、社会的に形成された感情なのだろう。あらゆる差別がそういうものだ。
多分そうなんだろうな……。お茶のカフェインは大丈夫なんで、そこがよくわからんのだが。
メニューとか内装の撮影禁止してる飲食店あるけど、料理やデザインの情報があふれまくっている今どき何の意味があるんだろうな?
よっぽど独創的なメニューやデザインに大金突っ込んだ内装で撮影禁止してでも秘匿するような店、銀座の会員制ガチグルメ倶楽部ぐらいでしょ。
くっさつまんな