2023-05-22

原爆資料館に行ったことがなくて

被爆者のやや偏って見える声をどう聞けばよいか。実際に体験した被爆者核兵器に対する見方と、彼らから直接その体験談を聞いたことがある人々の見方と、少なくとも原爆資料館やその他様々な資料から学んだ人々の見方と、どれもない人のそれとでは、核兵器見方が異なるのは当たり前で、なるほど例の被爆者の言っていることは確かにそれでは社会は動かないようにも見える。

ただ、広島および長崎原爆資料館だったり、もし身近に被爆者がいたりして彼らから話を聞いた経験などがあれば冷静に見られなくなるのはそれはむしろ当然で無理もないと感じる。「ただの語り部であればそれでも良いが何らかの目的を持って語るなら相応の情報発信しろ」と言われれば確かにそうだが、それができないくらいの体験であったろうことは容易に想像できる。

要は、いろいろ思うところは人それぞれあるなかで、情報がまとまっている原爆資料館にくらいは行ったことがある人たちが批判であるならいいのだが、それすらない人があまり強く言っているのなら、それはちょっとフェアじゃないという言い方がいいかからないが嫌だなあと思った。

  • どういう立場でも被爆者に物申すなんて分不相応だぞ 当事者至上主義というのはそういうものなんだから

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