最近、「推し」に大金を費やし、そのお金を援助交際で捻出するといった事件の報道が多い気がする。
事件によっては、未成年が「推し」に数十万円、数百万円を費やしたらしい。
こうした事件の報道では、きまって「推し活」という言葉が使われている。
しかし、自分の収入を超えた過剰な金額を「推し」に費やすことを「推し活」と呼ぶのにはすごく違和感を感じる。
メディアでは、「推し」がいることはすばらしいことで、「推し」の幸せは自分の幸せで、「推し活」をすることが生きがいであるというようなメッセージが繰り返されている。
その中で、「推し活」はポジティブな意味合いを持って受け止められているように感じる。
だが、身の丈に合わない大金を「推し」に注ぎ込むことが「推し活」なのだろうか?むしろ、「依存」と呼ぶほうがしっくりくる。
それに、未成年に多額の金銭を使わせるという明らかに異常な事態を、「推し活」という言葉で片付けてしまうのにも違和感がある。
こうした問題を「推し活」というポジティブなニュアンスのある言葉で呼ぶことは、実際の問題を矮小化してしまっているようですごいもやもやしてしまう。
わかる 推し活はもう金持ちだけの 趣味になってしまっている