という有名な警句がありますが、Twitterにおいて嘘を嘘と見抜くのはかなり難しいのではないかと最近ぼんやりと思いました。以下、ぼんやり思ったことをつらつら書いてみます。
私は、掲示板を覗くときは、気構えとして、そこに書かれていることはほとんど冗談か嘘だろうと見なしていました。たぶんほとんどの利用者がそう思っていたんじゃないでしょうか。書かれていることのほとんどは無益で、たまーに良い情報が見つかることもなくはないって感じで。なんなら誰かが言い出した嘘を、それが嘘だとわかったうえで、より面白くなるように調理してさらに広めるみたいな、そういう使い方をしていた気がします。だから、掲示板を見る時って、自然に嘘を見抜こうという気構えになるんですよね。
ところが、Twitterを使うときはそうした気構えになかなかならない。理由として、文章のトーンが入り乱れていることが大きいのではないかと推測しています。掲示板と同じようなトーンで冗談をツイートしている人がいる一方で、学校や職場などリアルの人間関係を持ち込んでいたり、俳優や政治家などがオフィシャルな発言をしていたりする。1ツイート140字であることや、いいねやリツイートの仕様などの形式面が全く同じなのに、内容の質はまるで違うツイートたちがタイムラインに現れる。トレンドワードを検索すると、政治家が懸念を示すツイートが現れ、その真下に大喜利のようなツイートが続き、更にその下に学校や職場が休みにならないかなといった極個人的なツイートが連なったりする。このように複雑に種々のトーンが入り乱れた場で、ひとつひとつのツイートを嘘かもしれないと疑い続ける態度を維持することは困難だろうと思います。
私は性格の悪さ故に、どうして明らかに虚偽のツイートに騙されているんだろうとTwitterの人々を小馬鹿にしたくなる気持ちが起こるときがあります。一方で、掲示板生活で、書かれていることを疑う態度を養った経験がなければ、自分も今以上に騙されていたでしょうし、掲示板経験を経てなお油断してTwitterにおいて騙されてしまっていることは多々あるだろうなとも思います。
たとえばTwitterを最初のSNSとして始める今の若い子たちは、友達と話していただけなのに、リツイートやトレンドから知らず知らずのうちに誤った情報を植え付けられたりしてしまうことがあるでしょう。Twitterを友達と話す場と認識していたら、流れてくるツイートひとつひとつを疑い続けるのは難しいです。普段ならおかしいなと思う内容のツイートでも、友人と放課後カラオケ行こうとやりとりして浮かれている直後に流れてきたら、警戒心が弱まってすんなり読み流してしまうのではないでしょうか。健康情報のデマツイートなどは命に関わる可能性もあります。もし自分が最初に触れるSNSがTwitterだったらと思うとかなり怖いです。今の若者たちが可哀想に思えます。