私は26歳の男。今は一人暮らしでテレビを持っている。毎日見ることができる。
なんだそりゃと思うかもしれない。テレビくらい持ってるし見れるだろと。
でも昔はテレビがなかった。
母は言った。忘れもしない。私が小学2年の1学期のころ、テレビは教育によくないと。
家からテレビが消えた翌日。我が家の小さなブラウン管テレビは粗大ゴミ置き場にあった。
どうしてこんなことをするのだろうと思った。家に持って帰りたかったが重たくてびくともしなかった。諦めた。同級生が見ている番組は私は何もわからなくなった。何を話せばいいのかわからなくなった。無口のまま。周りと話せない。孤立が加速し、排除された。
テレビが見たい。リビングで新聞のテレビ欄を見る。スターウォーズをやるらしい。
テレビが置いてあった方向に顔を向ける。テレビはない。そこには水色のラジオがある。俯いた。学校に行く。同級生の話の中で昨日この番組を見たかと話をする。うらやましい。
同級生は友達と楽しく話をする。私は何も話せない。家に帰る。誰もいない。父は仕事。
母は弟の送り迎えと世話。姉は部活。台所にたつ。皿を洗う。床を見る。髪の毛と埃が目立つ。掃除機をかける。母が帰ってくる。お手伝いありがとうと言われる。テレビが見たいと私は言う。母は教育によくないという。手伝いの報酬として5円もらう。貯金箱をばらす。
テレビを買う金額には遥か遠い。友達の家に行く。どの家にもテレビがある。友達はテレビがあることを気にしていない。テレビにゲームをつなげる。私はその時しか触れない。友達は毎日触れる。私は下手くそ。友達はうまい。格差を知る。家に帰る。テレビがほしいという。駄目といわれる。どうしてと聞く。どうしてもと言われる。俯く。新聞のテレビ欄を見る。ナルトをやる。そういえば同級生はナルトの話をしていた。でも私は知らない。同級生は毎日楽しく話せることでコミュニケーションの積み重ねをする。私は格差と親の選択の残酷さを知る。同級生はコミュニケーションを取ることを苦に思わない。私は何を話せばいいかわからないまま。テレビがあれば同級生と楽しく話せて、情報のキャッチも人並にできたのに。26歳の一人暮らし。テレビを見れる。でも今はテレビ以外にも情報はあふれている。皆それを上手く使いこなし、楽しく話せている。私はもうできないと思う。
今家族もテレビを見ている。昔のことなどなかったかのように平然と見ている。
だんだんわからなくなってきた。今も私は独り。周囲と楽しく話してみたかった。
あのとき楽しく話すことを養いたかったけどもう手遅れ。抗うのも疲れた。
私は26歳の男。周囲と楽しく話してみたかっただけの男。昔に戻ってやり直したいだけの男。
実家のテレビを捨ててやればよい どんな人間が出来上がったか教えてやれ
自分がどんな人間になったかはよく伝えている。 母はこうなるとは思わなかったごめんねの一点張り。父は母に逆らえなかったで終わり。 要は悪かったけどあとは自分でなんとかしてっ...
ちゃんと「抱っこして!ごちそう作って!おもちゃ買って!もっと甘やかして!」って言わないと伝わらないよ?