2023-01-13

SideM楽曲に救われた話

アイドルマスターSideMは救済、よく聞く言葉だ。

実際私もFRAMEの楽曲人生を救われたクチなのでとても分かる。

しかし、自らが想像もしていなかった曲に救われた、いや、もっとささやか気づきだが、そんな出来事があったのでここに記そうと思う。

なお、読む方へ。私はこのような文章を書くのに慣れていないので、至らない、誤解を生じる表現があるかもしれない。衝動で書いている自分語りだ。はてな匿名ダイアリーを使うのも初めてだ、改行が分からない。後でヘルプを見て編集しよう。

私の界隈や音楽に対する知識も浅いことをご了承いただきたい。

都築圭の『Sanctuary World』である

よくある『SideM救済曲リスト』で見たことのない曲なのだ。びっくりだよ。

自体は発売当初からとても好きだ。大好きだ。

グリツア北海道パフォーマンス鳥肌ものだった。

都築さんのストーリー、そして声優さんの歌の技量も相まってこう……とても美しくてエモーショナルな曲だと思う。大好きな曲だ(二回目)

でも救済曲か? 少なくとも私にはその印象はなかった。今朝までは。

音楽が人を救うのは、その内容が、聴く人間の状況によると思う。寄り添う、背中を押す、隣を歩く。音楽は様々な形で、人々のそばにいてくれる。

この曲に救われた経緯を説明するには、「救われた」私の状況も説明しなければならない。簡単にいこう。

大好きな友人と喧嘩をした。喧嘩と言えるかはわからないが、たぶんそうだろう。

詳細は省くが、私の軽率感情的発言が原因だろうと思っている。

心はふさぎ込んだ。食欲もなくなる、なにをするにも億劫になる。ただ仕事から帰ってすぐ眠りについた。

頭の中にめぐる色々な種類もの言語化することはできなかった。後悔、怒り、悲しみ、そんな単語だけで表現するにはあまりにも複雑だと、私は思った。

今も、Twitterでの他愛ない呟きすら出ないくらいだ。

朝が来る。のろのろと支度をして通勤電車に乗る。

車窓越しに差す朝日を薄眼で眺めながら、惰性でランダムで流す数百曲のプレイリストの中からSanctuary World』が再生される。

そのメロディを聴きながらふと思ったのだ。

私の心は音楽のようだ、と。

自らが聴こえる楽曲を、聴いていない相手に口頭で描写できるだろうか。私はできない。

(曲のジャンルにもよるが)複数楽器が各々音色音階を、リズムを伴って、重なっている。

時にユニゾンして、歌声には言葉が乗って。

心も同じなのではないだろうか。思考感情は様々な様相で同時並行で走り、そして形作られたものが私なのだ、そう思った。

この感覚を、読んでいるあなたに十全に伝えることができないのがもどかしい

注釈として、私は若干の共感覚を持っているのだろうか、音楽にはほんのり色と形が見える人間だ。

また、私は音楽に対する感受性が強い。普通にコンサート号泣するタイプだ。

からそんな連想をしたのだろう。

何にせよ、私が『Sanctuary World』を通して救われた、というか、少し心が軽くなった、そんな話だ。

しかしたら他の曲を聴いているときに、このことを思ったのかもしれない。

しかし、『Sanctuary World』の歌詞はこんな言葉で締めくくられているのだ。

Music is Heart

直会社に到着してとっくにイヤホンを外したころに気づいた。

まあ歌詞解釈はいろいろとあるとはいえ、私にとってはつまり「そういうこと」なのである

なお、喧嘩については一切合切進展していない。

気持ち馬場このみdear…』である。助けて欲しい。

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