おれが貯めてたシリーズ
大は小を兼ねるというやつだ
1人で夕飯を食べていたら高校の友人から彼女への婚約指輪を買ったと報告された。
相手も知っている人なので「おめでとう」を投げかける。祝う気持ちと、寂寞の思いが入り交じりながら。
というか会社に入ってから付き合っていない。お陰で人を好きになるって……?みたいなレベルから始めないといけないかもしれない。
如何せんそこそこ充実はしている。ウマ娘だったり旅行だったり。今の生活に彼女が入ったらどうなる?この自由な生活が無くなってしまうのでは?とも思う。
不意に危機感に苛まれてマッチングアプリを始めては見るものの、いいねなど来るはずもなくたまにマッチングしても会うに至ることもない。
そんなわけで独身は独身でいいかと言い聞かせながら30歳に突入したのだが、正月休みで高校の友達グループと集まった。
かなり仲が良く毎年旅行に行ったり遊んだりしていたのだが、ここ数年は家庭を持つ奴が増えて年々集まる機会が減ってしまっていた。
遊ぶにしても彼女や奥さん連れてきていい?みんなで集まろうよ!ってなったりもする。
いやもう気を遣わないお前らと遊びたいんであって、彼女とか奥さんとかいたら変な気を遣うだろ!
お前らは変わっちまったなぁ〜!と言葉を投げかけはするが、実際のところ変わっていることが正常なのかもしれない。自分が高校の頃から変わっていないことに対する強がりなのだろう。
社会人になると学生の時の友達と連絡取らないよ!という人もいる中で遊んでくれるだけ良いと考えるべきなのだろうか。
ただ、結婚式が、子供が、家が、と幸せそうな家庭を築き上げる友人達と集まる度に、高校時代に取り残されたままの自分はどうしようも無い寂寥感に襲われる。
付き合った報告や結婚報告で最後に心から祝えたのはいつだろう。
こういうところがダメなんだろうな。
電話が怖いひとはできませんよね…
指摘されてるし糖尿病手前になってるけど出来ない
🐈️「だまれトリくっちまうぞ」
数年前にケーキの切れない非行少年で散々盛り上がったはずなのに「障害があるからと言って反社会的になりやすいとは限らない」とは笑止だな。
反社会的になりそうなのを踏みとどまるために必要な知力・体力の余力そのものが失われるのが障害という状態だろ。
これもまた日頃「弱っている状態は判断力が下がる」を自分たちで散々言っておいて、いざそれの行き着く先を示された途端に知らん顔か。
っくらいのっ、おべんとばっこにっ、おっにぎりおっにぎり…
正しく生きることができない奴らが正しく苦しんでないから正しいことをしようとしてもうまくいかないんだろうが
コールセンターや。
基本マニュアルがあるし、ちょっとプライド捨ててクレーマーのお話に相槌打つだけや。
時給高いし、人間相手だから工場とかで働くよりコミュ障こじらせたりせんし嫌な同僚もいないしパートのおばちゃんクソ優しいし最高にストレスないで。