2022-12-31

年数を経て醸成されていく異常性について

年末になると自身を含むセカイの年月の経過と、それが浮き彫りにさせる人々の異常性を実感する。

自分は30代前半男、漫画アニメ物心ついた頃から人並みに好きでツイッターではオタクカーストに含まれている。

ツイッターアカウント10年以上が経過しており、フォロワー20代から30代、30代から40代に歳を取っている。

ここ数年は公私ともに忙しくなり、アニメ本編を見たりYouTubeで少し関連動画を見るくらいの楽しみ方になっている。

新規に見る作品も減り、青年から好きなシリーズの続編や自身趣味リンクするようなものに絞られてきている。

また、同世代の半数程度も同様に家庭を持ったり、そうでなくとも浮上頻度は減っており『かつてオタクだったもの』になっていっている。

一方で異常独身オタク年末となるとアニメ一挙放送を実況し、アニメ主題歌DJライブ中継を実況し、年始からアニメ放送スケジュールRTし、コミケ戦利品(何と戦ったんだ?)をツイッターアップロードする。

去年も一昨年もしていたし、おそらく来年も再来年も変わらないのだろう。

10代、20代の頃には感じていなかった「変わらないことの異常性」をここ数年強く意識するようになったのは、自分もその一人としてカウントされているかもしれない、ということへの恐れなのだろうか?

  • アルゴリズムに則ると成長による新陳代謝が行われないってのは辛い所だな もう人類は手遅れかも

  • 社会性の乏しさで自分を異常呼ばわりする連中掃いて捨てるほどいるし、別に異常でもなんでもなくきわめて凡庸だと思う。

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