「私の本当の名は、ニギハヤミ コハクヌシだ。」
これは本邦アニメ映画の最高傑作である千と千尋の神隠しの有名なセリフだが、このシーンは冷静に考えると意味不明でしかない。
ハクが名前を思い出すことにストーリー上の意味があるわけではないし、龍の姿から人間の姿になるのも意味はない。
だいたい、パラシュートもなしに空から落ちているんだから、そっちの心配をしたほうがいい。
このシーンを最初に見たときに、この「意味不明さ」はあまり気にならないであろう。(頭の片隅に思うことはあるかもしれない。)
それはこの作品が全体を通して、絵、演出、音楽、などが圧倒的だからである。
今回のすずめの戸締まりはどうか。
賛否が分かれるかもしれないが、私には今作のアニメーションがストーリーの破綻をねじ伏せられているとは思えなかった。
画面は綺麗である。
わかるうううう てかたぶんさ、表現力の差もあるだろうけど、すずめのほうはなまじ実在の事象に寄り過ぎてるぶん、観客の中でのリアリティーラインが高めに設定されちゃってるんだ...
リアリティーラインって言葉初めて知ったわ それで全部説明できるな なるほどなあ