「タンスを見て楽しめる人、タンスを見るのを楽しみにしている人がいる」事も理解はしてるし、何かの催しでタンスを見ることになっても、割り切って観たり、目で見ながら全く別のこと考えたりしてんだけど、自分自身は楽しさを感じないゆえに、時々その割り切りがうっかり頭から抜けた時にどうしても「何やってんだ?コイツラ」と素で思ってしまう自分の冷めた性格の悪さや品性のなさに酷く嫌気がさすことがある。
別に楽しさわかんなきゃ見なけりゃいいじゃん。無理して楽しまなくてもいいじゃん。っていう意見はごもっともなんだけど、折角なら見て楽しめる完成を身に着けたほうが、楽しめない人生よりも楽しめる人生のほうが豊かだと思う。
年配の上司が若者の俺に合わせて桐タンスがどうこうって話振られるたびにいたたまれない気持ちになってくるのだ。
タンス糞ほど興味なかったけどこうこうこういうきっかけでタンス見てるの楽しめるようになったよっていうエピソードがあったら参考にしたいので教えてもらいたい。