それで犯罪をして憎しみの形であってもいいから何かしらの社会の関心を引きたい人もいる
(そうじゃない犯罪、たとえば自分は愛をおしつけるために犯罪をしたとか、犯罪となることすらわからず普通に人をひきころしたとかも当然多々ある)
で、SNSを自分の意思で切り捨てることは無関心から遠ざかる手段になりうるかというと、
代替物たるレトロなコミュニケーションがつくれる人間ならば大丈夫だが、そうでない場合はショック症状を起こす。
なければ「そもそもあいつなにいってんのかわかんね。異人さんは出島に住んどけ」なのである。
古くは家族や義務教育もコミュニケーションである(欠けるとインドの「オオカミに育てられた少女」のようになる)し、
会った瞬間に挨拶することや外に出るときにファッション・清潔感に気を使うこともコミュニケーションである(欠けると臭くて汚い、見た目が危ない人になる)し、
店で物を買う程度の会話も社会生活に必須のコミュニケーションであるし(たいていは通販でなんとかなるようになったけど)
テレビ・新聞も一方的ながら広く薄い共通認識をつくる形でコミュニケーションを提供してきたのである。(だから人間は身の回りに実在していない芸能人を好きになったりすることもあるようになった)
インターネットが遠隔相互コミュニケーションを可能にし、個人が広く薄く情報発信することを可能にした。
そのことは「仲のいいフォロワーがいない」ことの孤独感を確かに先鋭化させただろう。
だからといって、もうすでに大勢が移動しつつあるメインの相互コミュニケーションを捨てることは人間社会にはできない。
家族がいない一人暮らし人ほど、すでにSNSに深く頼っているので、単にツイッターやラインに障害が起こっただけでふらっと私いなくてもいいじゃん自殺しちゃおうかな的な気持ちになったりするのである。
あるいは新生児を育てている女性がしょっちゅう鬱になるのもこれである。
けもののような赤ん坊を人間まで育てるという膨大な知識を学習するのに、一緒に悩んだり辛さを共有してくれる人はSNSにいない。
時間帯も合わない。赤ん坊は日本語もしゃべらない。泣いてうんちしてアブアブいってティッシュをまきちらしたあげく寝るだけ。達成感はない。孤独感がひどい。
SNSから表現者、創作者が輩出されるのも孤独感を減らす効用のためで、そのため彼らはSNSの強みをよくわかっている。
創作はものの視方をふくめた深いコミュニケーションをパッケージ化することにすぎない。
強い創作とはツイッターとピクシブで発信しつづけ、アガリとして歌手とアニメーターに飾られ祀られた創作である。
まあそこまでいくと作者の手を離れるんだけれども。
ピクシブが使えなくなったらどこでも宣伝してもらえない、「ファンにみてもらえなくなる」からピクシブは既得権をもっているのである。
自己啓発本の類は読まないタイプなんだが、それでも自分のQoLを高めるにはどうするかってことぐらいは考える。 俺は今後何かで「大金持ち」になったり「大成功」することもないだろ...
無視・無関心は憎まれるより痛い。 それで犯罪をして憎しみの形であってもいいから何かしらの社会の関心を引きたい人もいる (そうじゃない犯罪、たとえば自分は愛をおしつけるため...
下らないことを言ってないでクンニ✋(👁👅👁)🤚せい
修験道を歩み山伏を目指すしかないのか
そうだね、孤独に強いとか、孤独が好きとか言っても選択的に孤独である時間が平気なだけであって、本能的に感じる孤独感に抵抗できるわけではないな。孤独と退屈はセットでやって...
それな。退屈を解消するもので溢れかえってるから孤独を感じにくい世の中なんよ
同じ事かもしれないが、孤独の忌避は、承認欲求というより「相互のコミュニケーションの成立」じゃないかな
この書き出しはとても好きです 自己啓発本の類は読まないタイプなんだが、それでも自分のQoLを高めるにはどうするかってことぐらいは考える。 全体ではカギカッコが多すぎると思い...
こういう奴って基本的にコミュニケーションを軽視して怠っている率が高いよな。いいねもらえないと嘆く前にお前は誰かにいいねしたのか?と思うわ。 あと基本的に交流しないと他人...
横だけど僕の場合、前提として何をやっても馬鹿にされるというのがある。確かに、本当に馬鹿なんだから仕方がない、他人のせいじゃない。ただ、馬鹿にされるのは軽蔑されているか...
自己啓発本を小馬鹿にするところから始まって 結論が結局自己啓発本と同じSNS断ちってのが悲しいね どんなルートをたどろうが正しい人間の生活は睡運瞑菜にたどり着いてしまうような...
睡運瞑菜か、いい言葉を知れた ありがとう
で?結局孤独感はどうやって解消するつもりなん?
TwitterもFacebookもInstagramもやったことないですが増田はやってしまってますすみません。
いいってことよという話
SNSの害ってのは、「孤独感」が癒されるような錯覚をもたらすことだよ。 100の孤独感のうち、SNSによって人と関わっている錯覚を感じ、10くらい癒される。現実に他人と会うのとは情報...
人が来ないブログをほそぼそ続けているが アクセスカウンターが1増えただけでも嬉しい コメントは一度もついた事がないし 交流なんて皆無 ちょうどいい孤独だよ
調べてみて他人が言ってることに肯定感もってたら自分が虚無になるのあたりまえじゃない?
どこかの誰かが考えついた仮説を君が実証しても認められるのはその元ネタの本人で君はただの一例なわけだから承認も孤独感もどうしようもなくね? 誰かの何かを借りて生きてくなら...
リアル周囲に趣味仲間が皆無なので、ネットで同じ趣味のアカウントを見るだけで嬉しい。