確率というのものは、数学的構造としては面積とほとんど全く同じなんですよね。
つまり、重なっていない土地の面積は足すことができるとか、重なっている土地を合わせるときは重複を差し引かないと合計面積にならないとか、そういうことです。
普通の意味での面積との違いは「全体の面積は1」ということだけです。
(これを測度論的確率論と言います。より詳しく言うと物理的な面積にとって意味のある測度はルベーグ測度ですが確率空間の場合はそれに限らないため、無限要素数や連続体濃度が関わってくるときに違いが出てくるわけですがまあそれは普通は考えなくていいことです。)
面積とほとんど同じ意味しか持たない確率という構造それ自体に「ある特定の家族の子供が女である確率」とか「家族を100組集めてきたときの頻度として子供が女である確率」とかいう意味を自然に持たせることは不可能です。
そこはユーザーが別途やるしかないわけです。具体的には、面積の切り方のパターンを全列挙してこの面積はこういう意味(ある特定の家族の子供が男であるという意味、など)、この面積はああいう意味、という感じで、面積の切れ端と表現したい意味の対応づけを逐一定義する必要があります。これをやって初めて意味を踏まえた確率の議論ができるようになるわけです。
(これがσ加法族および確率変数の定義ということになります。)
モンティホールや元増田の設定などで毎回毎回議論が紛糾するのは、議論している人それぞれが頭の中に浮かべている面積の切り方のパターンと意味づけが異なっているからです。違うσ加法族、違う確率変数についてあーでもないこーでもないと言っているわけです。違うものを議論しているので意見が一致することはありません。
確率という構造およびそれと現実との対応について、何を明記すれば同じものを考えていると思ってよいかを整理したのがコルモゴロフの測度論的確率論の偉大な成果です。これは現実における確率の議論において避けることが絶対にできないものですが、中学高校の教育課程ではこのことを巧妙に避けて教えようとしているのが問題ですね。結局失敗して確率を国民に理解させられないままになっているから毎度紛糾するわけです。
まともに議論をしたければ、自分が想定しているσ加法族(面積の切り方のパターン)と確率変数(標本空間から実数値への、想定したσ加法族に対して可測な写像)を明示しましょう。それ以外に解決法はありません。
これは半可通
測度論は確率という数学事象の数学的側面を研究するために確率というものを定義きたものであって、それを持ち出して素朴な確率論に口を出すのは馬鹿
測度とかσ加法族とか知っていてエライ
議論もなにもありゃしないんじゃないか 元増田の設問自体が理論的なものをすべて受け付けないだろ 「四人家族で夫婦男女の家族が成り立つ数は?」 って設問だよ? そんなの 夫婦男...
可算濃度の1次元閉空間じゃないの?