確かにコロナで仕事を失ったり、突然家族を失うって事は辛いと思う。というか、辛い実体験しているだけに余計にわかる。
だけど、いつまでも悲しんでいても仕方ないし『どうせ』って言葉を使って、そのままではいられない。
それを前提に友人と話した内容をここに書く。
きっかけは久々にあった友人との会話だった。
彼はコロナで仕事を失ったわけじゃなく、会社が嫌になったから止めたと理由で無職になった。
彼の親は病気で余命は長くはなかったが、事前に告知があったので慌てることもなく時間は進んでいった。
その彼が会話の中で「コロナで動きづらい」「国は何もしてくれない」「やりたいことができないので生きる気力がない」などと次々と語ってきた。
言っていることはわかる。
コロナであれこれ制限され、国は何もしていないわけじゃないが具体的な解決に繋がる行動はしていない。
だけど、生きる気力はなんとも言えなかった。
やりたいことは何か?と聞けば、スポーツ観戦に行きたい、ライブに行きたい、自由にでかけたいと言う。
どれも出来ないわけではない。
行ける範囲で行ったらどうか?と提案すると、コロナのせいでーと繰り返すばかり。
なら、仕事を始めてコロナが落ち着いたらパーッと使える金でも稼いだらどうか?と提案すると
今は仕事をする気にもならないし、コロナのせいで仕事が見つからないと言う。
コロナのせいで見つからないも何もコロナの真っ最中に退職しているのは、彼だ。
「増田(私の事)は良いよね。なんでも前向きに考えられるから」
別に前向きに考えているわけじゃない。コロナになろうが、自分のルーティンを守っているだけだ。
だから「悲観的になっていないで自分のいつもの事を行っているだけ」と答えたが、どうも彼は納得がいってないらしい。
彼からすれば、私がなんにも変わってないことが強さであると言い、弱い人の気持ちはわかってもらえないと考えているようだ。
「悲観的になっていても仕方ないだろう。それで自分の生活を崩されるのは嫌じゃないか?」と聞けば、
彼は「そういう考えが強い人の言い分なんだよ。弱い人の気持ちなんかわからないよな」と言ってくる。
勝手な強弱のものさしで測られるのは、不快にしか感じられないが彼のものさしで答えるのなら彼自身のものさしがあまりにも短すぎるとしか思えない。
そんなもので測ってもらった所で、彼が私に勝つ事(なんの勝利なのかわからない)は出来ないし、今も毎日苦しみながら低賃金で労働している人たちの誰にも勝てるわけが無い。
そういう事がわかってないようなので、根性論で話すのはどうかと思ったが…一番手っ取り早い言葉で『もう少し根性見せてみたらどうか?』と伝えた。
まあもちろん、自分の中の強さ弱さでしか考えられない人に話が通じるわけもないのだが。
結局の所は「強い人だから言える」と言われて終わった。
まあ予想通りの答えだ。
世の中、自分の杓子定規で考える人は多い。というか、これは全人類が持ち合わせている考えだ。
なので、止めてほしいと思っても無理な話なのだ。
よしんば、理解したように私に同意する人がいたとしても、それは同調しただけでその人の中にもこの考えは植えられている。
それでもやっぱり止めてほしいと思ってしまうのは、人の性なんだろうなあ。
女性同士の会話と悩みっぽい話だわ。 そういうのは、良い意味でのマッチョイズムでもって対応したほうがいいと思うんだよな。 貴方が強いから言えるんだといわれたら、そうだお...