子どもが生まれてからツイッターで子育て系のツイートとかまとめを見ることが増えたけど、
母親がベビーカー使ってるとなにかされるとか、そういう母親がかわいそうな話や子どもや母親の自分が実家や義実家に旧時代的なことを求めらてかわいそう、またはそこをきっかけとするスカッと系な話に異常に感情移入してしまう。
子育てが大変で、こんな大変なことをしている自分は子育てしていない人よりも偉いということを感じていないと気がすまない。
要は子持ちの方が偉いと、子育てしないと理解できないことがある(子育てしてないやつは視野が狭いみたいな)と認識させて、子育てしてる私を大変なのに頑張ってて偉いとか、現代母親小公女みたいに思わせないと気がすまないというか。
母親というものを悲劇の主人公だと思わせたいと考えてしまい、例に挙げたようなツイートをrtしてしまう…。
悲劇の主人公というのも、全くツッコミの余地もない悲劇の主人公だと思わせないと気がすまない。
たぶん、心のどこかで子どもがいなければ手にできた人生の可能性というのを考えてしまっていたり、
自分自身が子供が産まれて初めてわかった、と感じていたことが他人にとっては子ども産まなくても当たり前に理解できてることだというのを受け入れ難かったりしてて、
妊娠とともに退職したのでいま子育てくらいしかすることない状況で自尊心を保つものが子ども以外にないからなのかなと思う。
親が子どもを自尊心保つ道具にしていると言われたらぐうの音も出ない、実際そうだと思う。
そう思って社会性を持とうと、自尊心を感じられるものを他にも持とうと再就職のための準備を始めたいけど、ワーママになってもというか、ワーママだからこそ母親が悲劇の主人公でないと気がすまない精神をこじらせそうでもう怖い。
なんでこうなるんだろう。
そういう奴らのこと心の中で同情乞食って呼んでる。
自分が一番かわいいって人ほど結婚せずにはいられないだろうから納得なのです