他人と親しくなると、相手が身の上話をしてくることがよくある。
過去どんな体験をした、どこ行った、子供がどうした、とかそういうの。
相手の身の上話を聞くのは、自らの知見も深まり大変有意義。そこは全く否定しない。
しかし、相手に身の上話をされて困るのは、その話に合わせて自分の身の上話をする場合だ。
困るのは、自分の話をするのが恥ずかしいからじゃなく、過去の自分の体験を覚えていないからだ。
自分の体験って、この大きな世界から見たらちっぽけで、歴史的事象とかに比べたら覚えておくべきことだと感じられない。
なんというか、経験が自分の中で一般化されて、過去の体験にある固有名詞が記憶から抜けてしまうって感じなのだ。
(例えば、「○○温泉に行った」→「温泉に行った」→「出かけた」みたいな感じ)
そして、普段はそれで困らない。思い出すことも少ないし、必要なら日記を見返せば良い。
だから、本当に他人と話すためだけに、過去の体験を具体的な形で記憶しておきたいが、どうしたらいいのだろう。
いや、逆なのか。
会話以外に思い出を原型通りに記憶したいと思わないからこそ、結果的に、頭の中で早々に思い出は圧縮化され、具体的な言葉として出てこなくなるのか。
体験に感情が伴わないから、記憶がただの記録にしかならず、忘れてゆく。 もっと感情をむき出しに楽しむ癖を身につけないとダメ。
その時は目一杯楽しんでても、後から思い出すと「〇〇は楽しかった」という表現にしかならない 元増田とは別人だけども
自分の過去とかどうでもよすぎて記憶から抹消されてるので、たしかに思い出話を語る場面で困ることがある
俺たちの人生には合わせて言えるだけの体験記がないんだよ・・・
そこ温泉だったとかそこの名物がおいしかったかとかの情報も覚えていないの? それはだいぶ珍しいな。 でもまあ、だいたい温泉旅行ってのはホテルにとまって風呂あがりに売店見て帰...
わたしも同じ傾向を持ってる。 「過度に一般化された自伝的記憶(Overgeneral autobiographical memory)」という名称がついてるらしい。 鬱病との関連性が強いのだとか。 わたし自身はそれを...
こういう傾向もちゃんと概念化されているんだね。 教えてくれてありがとう。早速調べてみるね。 あと、写真撮る習慣が無かったから、試してみるよ。
自分も似たような傾向があるけれど、芸人になったつもりでネタ帳作ったり具体的なエピソードを交えて話す練習したりすることである程度は喋れるようになった