2022-05-30

潤滑油歯車自称する奴らは「消耗品として使い捨てられる覚悟」が本当にあるのだろうか?

たとえば車に乗っている人なら定期的にオイル交換をする必要があるのは知っているだろう。

その理由は汚れて黒ずんだ交換前のオイルを見れば明らかだ。

ではなぜオイルあんなことになるのか?

逆説的な答の出し方をするとオイル消耗品となる前提でエンジンの中を循環させられているからだ。

エンジンがその設計上発生する消耗をオイル押し付け構造を取っているのだ。

面接ポジショニングについて尋ねると「私はコミュニティ潤滑油です」とドヤドヤっと答えてくる学生転職希望者がよくいる。

だが彼らの発言を聞いていると多くの場合は「油のようにヌルヌルと立ち回って他人ダメージを受け流すことに長けている」と要約できるようなエピソードを並べてくる。

潤滑油役割ダメージを受け流すことじゃない。

ダメージを受け止めることだ。

自分が仲立ちをすることによって自分が傷つき自分の心を黒ずませながらその状況を軟着陸させていくことだ。

その立ち位置は多くの場合自分から潤滑油宣言をしないどこか引っ込み思案な所を思わせる愛想笑いの張り付いた人間こそが担っている。

俺が俺こそがという顔で潤滑油を名乗る人間は大抵の場合潤滑油よりも燃焼室やピストンに喩えられるべき動きをする。

それはそれで魅力的な役割である組織には欲しい人材なのだが、自分の正体が分かっていないのでは使いにくい。

勿体ないか自己分析をやり直してきて欲しい。

現場に入れてから自己分析をやり直させるのはなかなかにコストがかかるし、周囲に「これ指摘してハラスメントにならないかな?」という余計なストレスを撒き散らしかねない。

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