たとえば車に乗っている人なら定期的にオイル交換をする必要があるのは知っているだろう。
逆説的な答の出し方をするとオイルが消耗品となる前提でエンジンの中を循環させられているからだ。
エンジンがその設計上発生する消耗をオイルに押し付ける構造を取っているのだ。
面接でポジショニングについて尋ねると「私はコミュニティの潤滑油です」とドヤドヤっと答えてくる学生や転職希望者がよくいる。
だが彼らの発言を聞いていると多くの場合は「油のようにヌルヌルと立ち回って他人にダメージを受け流すことに長けている」と要約できるようなエピソードを並べてくる。
ダメージを受け止めることだ。
自分が仲立ちをすることによって自分が傷つき自分の心を黒ずませながらその状況を軟着陸させていくことだ。
その立ち位置は多くの場合は自分から潤滑油宣言をしないどこか引っ込み思案な所を思わせる愛想笑いの張り付いた人間こそが担っている。
俺が俺こそがという顔で潤滑油を名乗る人間は大抵の場合は潤滑油よりも燃焼室やピストンに喩えられるべき動きをする。
それはそれで魅力的な役割であるし組織には欲しい人材なのだが、自分の正体が分かっていないのでは使いにくい。
現場に入れてから自己分析をやり直させるのはなかなかにコストがかかるし、周囲に「これ指摘してハラスメントにならないかな?」という余計なストレスを撒き散らしかねない。