嫌いになったわけではない。
かつてないほど熱が醒めたからだった。
ライブで、会場のファンにいつもありがとうと、ありがとう、ありがとうと沢山言ってくれる推しが好きだった。
ライブのトークも面白くて、バンドメンバーへの細やかな配慮も忘れない推しが好きだった。
下ネタが苦手な癖に曲中のファンサでそういうことを言って恥ずかしがる推しが好きだった。
就活がうまく行かずに悶々としてた時に当たった握手会で、辿々しく自分の話をちゃんと相槌を打って聞いてくれて、推しがもっと好きになった。
大学を卒業して、就職して、結婚しても推しは好だった。配偶者にもからかわれるけど、好きなものは好きだった。
ライブの円盤もCDも絶対買っていたし、ライブ自体も地方都市在住だから全通や複数公演は難しかったけど、ツアー中最低一回はちゃんと行っていた。
ファンクラブに入っていてもいい席になるとは限らず、ただファンクラブ優先購入券という名の抽選回数が増えるだけだから、行けたとしても半分より後ろだとか、本人は豆粒でしか見えないなんてこともよくあった。
この六年間、「好き」という気持ちに波があったことは否めないけど、それでもファンクラブをやめるという選択肢はなかった。
豆粒でさえ、本人を見ることができて、曲を聴けていたから。
2020年中に行われる予定だった初のドームライブのチケットには当たっていた。
ドームライブ決定という発表はライブの千秋楽でなされたのだが、自分もちょうどその場にいて、個人的に特別なライブだった。
発表の場にいれて、すごく嬉しかった。
チケットにも当たったから、そのライブも特別なものになるはずだった。
しかし、コロナでそのライブは行われず、チケット代は返金された。
それでも推しのことは追っていた。
勿論チケットを買って家で見ていた。
ライブ会場でも本人が見えなくてモニターで追うことはよくある。だから、今回もそんな感じかなと思いながら見始めた。
でも、ライブが始まる前のあのワクワクした気持ちが、一切湧いてこなかった。
曲を聴いても、例えそれがあまり好きではない曲でもライブ会場では楽しめた。ライブの円盤でも楽しめている。でも、配信ライブでは何とも思わなかった。
今年こそライブに行けるといいなと思いながらファンクラブの更新をした。
その頃は小康状態とはいえ、地方都市から首都圏へ向かうことはまた憚れていたし、もしコロナを持ち帰って家族や会社の人へ移してしまったら、という懸念があって配信ライブのチケットを買った。
というのも、自分が住んでいる地方都市の最初のコロナ患者が首都圏からの持ち込みだったからだ。かなりバッシングされていたし、なんなら自分も引いた。
ワクチンは二回接種していた。周りも皆二回接種していた。それでも、遊びで県外へ行く人は周りにはいなかった。
この間の配信ライブは、自分の好きな曲を全然やらなかったからあまり楽しめなかったのかもしれないと思いながら見始めた。
会場の熱気は、観客の声が出ていなくても分かった。
曲の後に起こる拍手。
自分も同じように拍手していたけれど、なんだか置いてけぼりにされている感覚がした。
アーカイブ公開期間に途中から見ようと思いつつ結局忘れていた。
かつてなら何か発表があったらリツイートして何らかの反応をしていたが、それもしなくなった。
気がついたらそのライブの円盤も発売されていた。いつもなら予約して火曜日のフラゲ日に引き取りに行っていたが、購入さえもしなかった。
ライブに行けなくて、どんどん熱が醒めていっているのが自分でも分かった。
あの置いてけぼりの感覚は、「地方」と「首都圏」という壁を意識してしまったからなんだと気づいた。
勿論、地方からでも行っている人はいただろう。逆に、仕事とかで行けなかった首都圏の人もいたはずだ。
いつもならそんなことは思わなかったと思う。元々そんなにライブに回数行けるような人間ではないし。
ライブに行けないのなら、ファンクラブに入っている意味はなかった。
だから、やめた。
それだけ規模の小さなの話なのに長々とちんたら書いてしまったのは、覚え書きとして残しておきたかったから。
とりあえずコロナは滅してくれ。
醒めたならなんでそんな長文書けるんや。 大概にせぇ。