2022-05-11

いじめない理由がないかいじめる」

世の中には「いじめ理由があるからいじめる」のではなく、「いじめない理由がないかいじめる」という人種がいることは、もっと広く知られるべき。

普通の人は路傍の石を蹴りに行かない。蹴る理由がないからだ。だがそれをわざわざ蹴りに行く人がいる。蹴らない理由がないからだ。

そしてそんな人種がいることを知らないから、いじめが発生した時、いじめられる側の理由探しが始まる。

いじめない理由がない、つまり被害者側には理由も原因もないのに、何を改めろというのか?

もし「"いじめられない理由"を持っていないのが悪い、"いじめられない理由"を持って自衛すべきだ」と言うのなら、

それは被害者に対して改善要望どころか追加要望を出している訳で、あまりにもマッチョイズムが過ぎるだろう。

このご時世にその考え方はよろしくない。被害者に全く理由も原因もない、天災のようないじめは起こるのだ。

世界中の人にこの認識が広まり、公正世界誤謬に苦しめられる被害者が少しでも減りますように。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん