最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。
歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである(構造主義の話はしません)。
すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋『テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。
さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石の思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石の意図」に接近しようとした。
これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。
聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である。
これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者のあなたが「八百屋さんの隣にあるポストに手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供が八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。
これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァの世界で公式に起きたこと」にアニメや劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダムの関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀「データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。
話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生のノートをもとにソシュール『一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。
聖書や漱石の研究など、ソシュール以前は「世界が言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンルの議論で酷使されすぎだと思う)。
それに対して、「言葉が世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回」である。ソシュールが言ったのはあくまで言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまりに革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義は1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてからの文学理論の最近半世紀である。
それまでの哲学(世界観と言ってもよい)においては、言語の研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたま」のものをいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?
よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題は一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも「日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学の講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。
これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しかし言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかしソシュールいわく言語と対象の結びつきは「たまたま」である。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語が言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。
冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。
もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。
二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野や富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズ、エラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者が調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。
しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野や富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ「作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたしの感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。
上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこの言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作とアニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観をいかに正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。
しかしそうした努力にもかかわらず、論理学や数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデルの不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。
かくして文学研究者らはそうした論理的数学的理論を縦横無尽闊達自在に引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。
しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日の文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに、自分の場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。
だから、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情=想像力こそ、人間が発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから。
最後に
これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探しています。Pythonとかほんの少しできます。よろしくお願いいたします。
公式は実際言ってるけど真意は明らかに別(テコンダー朴)
エヴァ論とか我田引水の極みみたいなのが乱立していたからな。
偉大な教えを曲解したり原典を改ざんする奴は許さんぞ まで読んだ
Python経験ありならウチの会社こないか? 額面で260万円くらいは出ると思うけど。
ギフハブを益体もないテキストで汚さないようにするという優しみを感じる。 無職なのはその奥ゆかしさがマイナスに作用している麺があるのではないか。
金出せるか分からんけど俺の会社に来ないか
話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関...
日本の法律で悪いが >他人が口述した内容を速記や録音をしておいて、それを文章に起こす場合、口述内容をそのまま文章化しただけならば、その文章の著作権は口述を行った者自身が...
大学の「講義」というものの著作権ってどこにあるんだろうそもそも 先生本人にあるものなん?大学として発表したということで、発表後50年(今だと70年?)過ぎたらパブリックドメイ...
うーん講義って職務著作なのかどうなのか…(教員が講義のためにノートを作ったならそれが著作物であり、講義はその口述ということか) 一般的に大学教員の書いた論文や教科書は、...
(この話とは関係ないけど) 職務の一環として何かの話をするって先生以外にも色々あるわけで、そういうのの権利ってどうなるのかとか考えてみると興味深いな 会社員がある事柄の説明...
なんかよくツイッターとかで学生が「大学で先生が言ってたこと」を話してるけど そういうのも厳密に著作権的に言えばアウトってことなんかな
授業の種類というか特質によりそうな気はするんよね 誰が講義しても本質的な内容の変わらない一般的な講義から、ただ科学的事実のみを持ってくるなら著作権的問題は存在しないと思...
ptyhonがほんの少しだけできるというのは本人が勝手に言ってるだけで、実際はめちゃくちゃできるって話か
気持ち悪っ だから二次創作民嫌い
はい、出た〜 自称哲学者みんな大好き不完全性定理
なげーよゴミ
たぶんもうインターネット芸人になるしかないと思うんですけど、なり方がわかりません。ゆくゆくはHIKAKINさんみたいになりたいなとは思うんですけど、とりあえずは堀元見みたいに絶...
@saitamasaitamaや。DM送ったので見たってな。 スペースでもしながら神待ちしようやあ。
俺はつくづく怠惰で無責任な人間であるという認識まではあなた方と共有できるし、それが望ましくないということもわかる。 しかし怠惰で無責任な人間であるが故に修正できないのだ...
何才だろうと、根本的には働かないと生きていけないのでは?
ようよう、多分お前が開き直った場合の末路だぜ。 高校中退で一橋入ったけど、出席だるくて6留年して10年通って追い出された30職歴無しだ。。 俺は毎日その日が楽しいから刹那的に生...
失礼かもしれませんが、俺みたいな人間はどこにでもいるんだなと思いました。 引用されていた記事も拝読しました。 俺は機会もしくは正当な理由さえあればいつでも死んでいいなと...
社会へ 拝啓 お久しぶりです、いかがお過ごしでしょうか。 前回に私が社会と直にお会いしたのは、ハローワークでライティングの仕事を10件ほど印刷して、履歴書等々を送るのが面...
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生保受けるのはいいけど、FIREじゃないよそれ 無職が無職で居続けるだけ
生活保護をFIRE扱いw 来年もらえるかもわからんのにw
一橋入れる頭でとる行動がこれか
実際にFIRE出来たのか実証はまだされてないじゃん タイトル詐欺
生活保護ガチャに当たった人。
今は良くても、あんた寿命迎えるまでそれで生きて行けるのか? 90歳まで生きるとするならあと60年だろう。1962年に生活保護受け始めた人が、今日まで乗り切れてるとは思えんけど。 「...
生活保護+親の現金仕送りが強いよ uberで1.5万(経費マシマシ)で実質手取り20万いける デイケア・作業所で若美人な福祉女相手に清純派キャバクラ遊び、スポーツの相手もしてくれる ...
診察券の難易度高いやろ。 あとは自治体や担当による。 もっとカジュアルに失業したら受けれるようにすべき。
普通に生活保護もらえない条件あるじゃん>親の仕送り
口座に振り込まれなければわかりようがないんだから、手渡しにすれば良くね?
生活保護おすすめしててワロタ。 人数増えすぎたらその分支給額減らされたり、生活保護制度自体改定されかねないとかそういう危機意識ないのかな?
中卒にしては賢そう。いろいろ事情があるのかな
よく見てみ、増田やはてブでアドバイスしてくれるのはお前と同じ属性のダメ人間やらニートだけだぞ。同じ傷を舐め合いたいだけの人間だけがお前に関心を寄せる。 普通の社会人はお...
お前の姿勢なんかどうでもよくて 働かずに生きるために必要なのは金でしかないんだから 方法を聞くなら前提としてお前の資産と親の資産・年齢、兄妹の有無 とかが重要だろ その程度...
全人類の半分は知能が半分より上で、残り半分は知能が半分以下なんだ つまり増田は全人類の半分を敵に回した
納税しないって、他の人の納税によって支えられているという自覚を持ってもらいたい。 インフラの維持だって無料じゃないのよ。
お前が1億円くれたら喜んで贈与税払ってやるぞ
統一教会にでも入れば?広告塔のポストが空いてるはず。
親ガチャSSRなら逆転する必要もないし金稼ぐ必要もないし、親の資産で大家やるとか資産運用するとかでいいじゃん いわゆる高等遊民よ 後ろめたさなんか感じなくていいよ
ライターつづけていけばいいのに。…とおもったけど こないだのオモコロのコンテストでトイレットペーパーの芯をものすごい数あつめてて比較検討したあげく撤退したというあまりお...
これかなりマジレスするけどさ。 俺もかなりこれに近い状況だったけど、30過ぎてなんとなーく適当な求人に応募して働きだしたら楽しかったぞ。ど田舎薄給だけど、働いて誰かに喜ば...
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