2022-01-14

「寛容な社会を維持するためには、社会不寛容不寛容であらねばならない」

これは不寛容だ、と機械判定できないところに限界を感じる

不寛容判定するのは結局個々の人間であり、恣意性が生まれしまうのだろうな

寛容であるために自己判断で時と場合によっては不寛容になるべきだということになってしまうと、不寛容行使する人は義憤正義快感に酔っているモードになりかねない

それは結局不寛容が行き過ぎてしまって不寛容社会になってしまって、別の人から不寛容判定を受け不寛容に……

あれ?ということはこのロジックは自浄作用があるのか

やるじゃんカール・ポパー

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん