今年も終わろうとしている。
四月にとある漫画を読んでから、今年はひとりの非実在青年について考えた年だった。
仮にその青年をAと呼ぶ。
暇があればAのことを考えていた。春のころは季節の陽気さも相まって本当に頭がばかになっていた。Aの性格や価値観、幼少期や果ては両親のことまで考えた。秋になり冬になってもAが頭の片隅に当たり前のようにいて、ほんの少しでも外見や内面の特徴の似通ったキャラクターを見ては、Aとの類似点と差異を検討してAについて考える足がかりにした。全然関係のない本を読んでいるときにすら、ふとAのことが頭をもたげる有り様だ。
Aは主人公でもなければ、出番も少ないうちに死んだので、妄想深読み読者的には大変狙い目のキャラクターである。そのことを加味しても、自分でも気持ち悪いくらい今年はAのことを考えた。
はじめは素直にAの死が悲しかったりもしたのだが、そのことについて考えていくうちに、一つの結論に落ち着いた。
「Aは非実在青年だからそもそも生きていない。散々辛く苦しく悲しい目に遭ったAはいないんだ!良かった!」。自分で自分のことを大丈夫か? と思いつつ、これだけフィクションの人物に入れ込むのも楽しそうでめでたいな、とも思った。
そんな風にずっとAのことを考えていた。四六時中誰かのことを考えるってこれはもう……恋なのでは???
それでふと思った。
リアルの人間に恋をすると諸々フィードバックもあるだろうし、そう簡単に死なないし。
私にとってはただの平日の今日と明日をある種のイベントだと捉えているカップルを、今までは普通に楽しそうにしている人たちだな〜くらいにしか思っていなかった、というか実を言うとなんとも思っていなかったが、なんだか今年はすこし羨ましい気持ちになるのかもしれない。
Aは君の中で間違いなく生きて、そして死んだのさ。