人に、相談ができない。
多分相談ができない人の多くは、なんとなく話しかけづらいとか相手に迷惑をかけやしないかといった配慮が強い人、というのが多い気がする。
自分も、そんな思いやり溢れまくり人間だから相談ができないと思っていた時期もあったのだが、そういう人は自分のことを思いやりあると思っていなさそうなので違うなと気づいたのが大学に入った頃だ。
これは、何を相談したいかを整理するのが大変とかともまた違う。気がする。
今大学院生なのだが、研究上の相談は全然できる。それは、相談しないと怒られが発生するのを知っているからだ。
そういうときの私は、きったねぇ数字の羅列となっているエクセルを、部屋に踏み入った特殊清掃員が吐くレベルから初めてお泊りにきた彼氏が玄関先で愛想笑いを浮かべて帰るくらいのレベルに整理して相談にもっていくわけだが、そこに申し訳ないとか自責の念はまったくない。
どんなに私がカスのしぼりクズみたいなスカスカの相談をしても、研究室の人は大変ひとが良いのでなんとかなるよう協力してくれる点にはbig感謝である。
まぁもしかしたら秘密裏に呪われており、藁人形で臓物のあたりを執拗に叩かれているのかもしれないが、あれだけデータ整理を手伝ってくれるなら内臓のダメージ程度惜しくはない。
自分の身に関することについては特に相談しなくても怒られない。つまり、相談というクソだるだり作業をする外部要因がなくなるわけだ。
割とよくあるのが、遊びの予定に打ち合わせが被ったことを当日までいわないとかだ。わざとじゃないし怒るような相手でもない。2、3人なら日程の再調整を相談しても良いものだろうがなぜか前日ぐらいに39度の熱がでたことにしてしまう。相談するのがダルいからだ。
進学や進路相談でも特に相談というものをしてこなかった。これは金銭的に進学自体を危ぶむ必要がなかったことを親にまず感謝すべきではあるが、それにしても進学先も学部も親しい友人はもちろん家族にも一切相談せず、行き先だけ伝えた。
就活でも面接で等身大に悩んでいると印象よさそうという打算から、就活で悩むことベスト10みたいなランキングをメモって特に悩んでいない今後のキャリアプランを聞いてた気がする。
周りは相談しない私のことを意思がちゃんとしてそうとか自立してそうとなにかをオブラートに包んで評してくれるが、相談しないのはカタブツとか頑固とかでもない、ただひたすらに怠いだけだ。
自分の適正を見極めず、進路方向間違えてめっちゃめちゃになっても、別に怒られは発生しないのなら、私は相談せずにアクセルを踏み抜いてそのまま日本海に落下したい。ただそれだけなのだ。
実際進学先の大学の学部は死ぬほど肌に合わなかったのとコミュ障なことも相まって、4年生まで話せる知り合い0人だったが、それも特に誰に相談するでもなく、グループワークもほぼ初対面の同級生と組んでなんか卒業した。留年して学務に相談する羽目になるなら一人で卒業するほうが怠くないからだ。
一人でやっていけるほど能力的に有能でも鋼のメンタルを持っているわけでもなかったので辛い夜もあった気がするが、それでも何もしなかった。相談するのが本当になにより怠かったからだ。
そういえば高校時代には逆に、同級生にややヤバめのストーカー(同性)がいた。そしてそれも特に誰にも相談しなかった。ここで話すのが初めてだ。
ガラケーにメールが日に50通くらい来て、パケット通信料が心配にはなったがそれよりなにより周りに相談するのが怠かったのでしなかった。夜の10時に呼び出され、ナイフを突きつけられたときは流石にこれで死ぬのは嫌だ〜となったが、普通に家まで送ったあと誰に話すでもなく帰って寝た。
思い返せば結構あれだったが、渋谷駅のコンコースで5時間くらい立ちっぱなしで私に進路の相談をしていたので、相談上手という意味では彼女に軍配が上がるかもしれない。
こうして振り返ってみると、自分の周りのことについても相談した方が結局面倒がなかったと思われることが多い気がするが、それでも今あのときに戻れたら誰かに相談していたかと聞かれると間違いなくしていないと思う。