娘たちから、「ママは子供の頃は、将来何になりたかったの?」って聞かれた。
子供の頃……、今の長女と同じ年頃、10歳頃のことを思い出すと、本気でなにかになりたいと思ったことは、そういえばなかった。
何でなりたいものがなかったのか。その理由の一つが、私は幼い頃に病気で10歳までしか生きないだろうと、医者から余命宣告を受けていたので、誰も、私自身ですら、将来の自分に何も期待をしていなかったことだと思う。病気は小学校に上がる前にあらかた治っていたけれど、どうせ長生きしないんだからという投げやりな気分だけは、長く残っていたのかな。
小学校の高学年になると、将来の夢について作文に書かされたり、夢を叶えた自分の姿を紙粘土で作って授業参観で発表するとかいう機会があったから、殆ど強迫観念みたいに、夢は持つべきものだと思って、なりたいものを次から次へと言いだした。占い師だとか獣医だとか、色々。でも、本気でなれると思ったことはなかった。
中学の頃からは漫画家になりたいと思っていた。思っているだけじゃなくて、自ら言いふらして歩いていた。でも、本当は漫画なんか1ページも書いたことがなかった。毎日、高校受験の勉強の合間に、10分間だけクロッキーの練習をしただけ。それでもいつか漫画家になれると思っていた……そうだろうか? 本当は、将来というものにおそれをなして、ただ現実から目を背けるためだけにデカい声で「漫画家になる!」と叫んでいただけだと思う。子犬が真夜中に親を恋しがって遠吠えをする、その鳴き声とあんまり違わない叫びだと思う。ただただ不安だったから叫んだ。自分は人間だから「ワンワン!」と叫んでいるわけにはいかないので、なんか意味のありそうなことを叫んでみただけだろう。
まあ、そんなわけなので、ママには将来の夢なんか一つもなかったんじゃないかな。なんて、私はちゃっかり漫画家になりたかったことだけは抜きにして、娘達に話した。長女が最近、「将来は漫画家になりたい」と言っているから、余分なことを吹き込みたくなかったというのもあるけれども、やっぱりそれより、中学時代から数年(なんと大学を卒業するまで!)の、自分の弱さと情けなさにいまだ直面したくないというのが本音だ。
0歳時点で余命10年と宣告された私だが、もう40年近く生きてきた。十分に生きたし、子供達のことや老後のこととかはあるにしても、将来に不安とか、別に感じる必要もないわけで。近くの問題から目を背けるために遠くを見る必要はないのではないか? と思うと、単純にやりたいことと純粋に向き合えると考えた。なので、最近は昼間、私以外誰も家にいない時間は一人でパソコンに向かって小説を書いている。毎日毎日、まるでそれが仕事であるかのように書き続けて、すごい馬鹿だなと思う。
小説サイトに投稿すれば、読んで好きだと言ってくれる人がたまにいる。だがwebのコンテストに出品しても、掠りもしない。でもまだ出版社の原稿募集だけはチャレンジしたことがないので、次に挑戦するならそれだよなって思う。
パンティー