2021-10-12

はいつもあるのだ思う所が

はいつも空を眺めながら、電信柱の回路を読み込み思う事がある。

いつも目の前の電子版によって飛ばされたハエが、コンセントにより散った火花飛び込み死ぬ確率

考えても仕方ないと思いつつ、さまざまなカットワカメ日本語の愁眉に頭を悩ませる毎日を過ごす。

「私を飼うのを」のような不鮮明な助詞に導かれ、犬は虹の橋渡りコップに溢れ出た水はカビが生える。

ワセリンが塗られた青い空に手を伸ばせば、青く血みどろの物体が手につく。

それを払おうとしていると死んだハエこちらを見て笑うのだ。

一億千のつたない命たちが、コンクリートの一粒となり私の目を虐める。さながらバットエンドの飛行機のようで、私は涙するのだ。

思う所がある所に、星一つ一つに混じっているコンソメ花火沖縄のなんと気色悪い事か。

などと思っていると、今いる世界現実味を帯びてくる。

本当に私の見ている世界は本物か、それとも虚実なのか。論理事実によって構成されている世界は、少しも嘘を含まないのか。

青い空を見て思うが、この空を見た時に感じるものは人の作り出した偽物なのか。

考えても仕方ない事が多くて、毎日が辛く感じる。ただ虚ろに毎日を生きてコーヒーを啜るのが、果たして人間的かと言われると疑問だ。

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