2021-10-03

何者かに成りたい欲の権化

まりは、ワイドショーを独占するような凶悪犯罪に手を出すようなド腐れた人間性じゃなくて良かったんだけど、それはそれで結局この「何者かに成りたい欲」に毒された者には緩やかな地獄の延長にしかならないんだ、という話。

私って結構すごいんだよ。ガキに理不尽暴力を振るう虐待親を持つ、今でいう親ガチャ大ハズレの人間なんだよ。ちょっと伸びをしたら「そんなに肩凝ってるなら肩たたきしてやる」って言いながら思いっきりぶん殴ってくるような。ロクに飯も作らないくせに、わずかな小遣いを飯に使ってたら「ロクな使い方しないから金の無駄」って言ってそれすらも没収するような。ちょっとでも反発したら「社会通用しない」って呪いをかけるような。それでいながら、世間から褒められるようなアルバイト馬鹿にされるようなアルバイトもこなして、遥か後方のスタートラインから国立大学で院卒っていう学歴持ってるし、今はちょっとは名のしれた大企業技術者やってるよ。初年度から実家世帯年収超えたよ。自分への給餌のために、ちゃん栄養バランス考えた飯も作れるようになったよ。あんまりぶれるような肩書はないけど、スタートラインから差分で言ったら結構なもんだと思ってる。

それで、ゴミみたいな実家から開放されたら、自分が何者なのかってさっぱりわからなくなっちゃったんだよね。今までずっと自分人生生きてなかったんだ。あのゴミ共よりマトモな人間になってやる、社会通用してやる、幸せになってやる、って思ってたんだけど、社会実家よりはるか理不尽じゃないし、ゴミ社会普通社会って全然違う。幸せって、なんなのか全くわからない。幸せなんてゴミ社会にはなかった言葉で、全員が「私は不幸」で埋め尽くされてたゴミ社会では、不幸でいることが義務だったんだろう。そんな社会から決別するのは正解だと信じてるんだが、決別したらしたで、その社会価値判断で生きてたので何もわからなくなった。当然ながら「普通社会」って決してやさしいせかいではなく、私が凡人であることを容赦なく突きつけてくるんだよな。私と同じくらいの立場の同僚も、幼少期からピアノ習ってたとか塾に通い詰めだったとか、個人的には羨ましい限りなんだけど、どうもそれはそれでクソらしく。また同僚は学生時代一般的社会経験を積んでいて、やっぱりそれも羨ましくて。こんなにも苦労したんだから、私は何某かの立派な、世間から褒められるような、何かになっていなきゃおかしいみたいな、何者かに成りたい欲はずっとくすぶってる。

同僚たちが結婚ラッシュになるような年代になって、それが本当に悔しくて悔しくて仕方がない。とっくにマスのヒーローになるのは諦めて、誰か個人ヒーローとして頼ってくれる人がいるんだろ、そして相手は苦しむ自分ヒロインになるような人がいるんだろ。私はまだまだマスに対するヒーローになりたいっていう願望が抜けないし、そもそも誰かのヒーローになるような器じゃない。私がしょーもない人間であることなんて、私が一番わかってるのに、この「何者かに成りたい」という欲は歳を重ねるごとに酷く膨れ上がっていく。今日もまた「結婚おめでとう」っていう嘘をついてきた。歳を重ねると諦念が身につくのが普通大人なんだろう。それが欠片もない。現状の私は世界に対して「良いことをする」ようなマスのヒーローどころか、個人に対して「良いことをする」ような個人ヒーローにもなれない、宙ぶらりんの「悪いことをしない」だけの普通社会に溶け込んだ空気みたいな存在なんだろうけど、自意識だけは誰もが私を凄いと思って尊敬されてなければおかしいと遙か上空に行っちゃってる。

調べてみたら、これはアダルトチルドレンという、機能不全家族で育った人間によく見られる兆候らしい。これは完全に自分の恥で、傲慢で、どうしようもない自我なんだが、「そんなところまで、「よくいる」人間兆候なのか」と、自分に対する嫌気が差ししまった。マスの医療(認知行動療法というらしいが、医療なのか?わからないけども医療としておく)で改善はできるらしい。これすらも、お前は悩みすらも一般的なのかという、自分特別でなくてはならない、というあまりにも強烈な自我自分揶揄される。自覚自我だったら自我が勝つから、とウエストランドという漫才師が言っていたが、今は完全に自我が勝っている。強烈な飢餓感を訴える自我と、足るを知れという自覚。この喧嘩、「普通の人」だったら高校生ときに終わらせてるのか?それともそんな喧嘩は起きないんだろうか?わからないが、こんな悩みも一般的なんだろう。

「何者かに成りたい」という強烈な自我は、一束いくら人間になりたくない、自分特別でいたいという、ある程度は当たり前の精神であると思っているが、私はあまりにも強い、それも大人になってからが本番のヤバい欲望になってしまった。特別感を演出する引き出しが多い分、飾り立てる言葉が多い分、重たくのしかかってきている気がする。これすらも「自分は殊更に不幸」って言いたいだけの精神から来ているのだろう。「私は不幸」で埋め尽くされてたゴミ社会価値観だ。これは適切な年齢のとき自我としては、自分を伸ばす背伸びになったんだろうが、伸びをすると思いっきりぶん殴ってくる親がいた私には、大人になってからしか持てない自我だったのかもしれない。

  • 放っといてもそのうち「自分はこれから何をどう頑張っても何者にもなることはない」とわかって残りの人生を諦めて過ごすことになるだろうから、それまでの辛抱だよ

  • 今すぐにでも世界中から認められたい、と言うのなら、その方法は分からないけど、 私はあなたの話を読んで、よりあなたについて知りたいなと素直に感じたし、 あなたの文章がより魅...

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