そういうカテゴリが本当に存在するかどうかは、社会と政治が決めるんだよ。
民族だの、部落だの、黒人だの、外国人だの、低所得者だの、LGBTだの、今は存在していて差別の対象となっているカテゴリは、かつて存在しなかった。
定義自体がなかったから、認識されることもなく、差別や救済の対象でもなかった。
翻って、「弱者男性」というカテゴリも、近年、定義が提案されたんだよ
提案が妥当かどうかはこれからの判断だし、元増田は妥当ではないと考えているようだが、究極的には政治的意図や社会全体の雰囲気によってどっちにも転ぶよ。
まあ、そういう新しい有意義なカテゴリを発見して提案するのが、君らの大嫌いな社会学の大きな役割の一つだとされてるんだけどね。