2021-09-04

一貫性のなさ」の判定は難しいってことを根本にわかってないよな

たとえば「トマトが嫌いだ」と公言している人がケチャップのかかったオムライスを食べているとする。

馬鹿はそこで「こいつには一貫性がない!」「トマトが嫌いだというのはその場凌ぎの嘘だった!」とか言い出すんだが、

普通に考えれば「つまりこの人は生のトマトの青臭さや独特の食感が嫌いなのだ」ということが分かるよな。

それは十分に一貫した態度なのだが、「間違い探し」に取り憑かれた人は「トマト(を用いた製品)に好意的かどうか」という単純化した構図しか見えなくなってるわけだ。

このあいだ「ブルーインパルスを見たい」と言っていた人が「ブルーインパルスを飛ばすのは適当パフォーマンス」みたいなツイートをしてダブスタ扱いされていたが、

これも「ブルーインパルスに絡めて正負どちらの発言をしているか」という一軸でしか判断してないかダブスタに見えるだけで、

普通に考えれば「ブルーインパルスには好意的」「ブルーインパルスを飛ばすという適当パフォーマンスをした政府には批判的」で何ら矛盾破綻もないわけだ。

いま挙げた例はむしろ分かりやすいほうで、もっと「隠された大量の前提のもとで論理が一貫している」ということは世の中にいくらでもある。

人間の行動なんてそう単純なものじゃない。

しかし状況を敵・味方に単純化して「間違い探し」に耽っているとそういう複雑な判断が出来なくなっていくんだよな。

相手言動一貫性がないと見なすの簡単だ」

しかし真に一貫性のなさを判断するのは難しい」

馬鹿にとってはこれも矛盾しているように見えるんだろうか。

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