70を越えた両親はワクチンを2回とも接種した。
他にも身近な高齢者は次々にワクチンを終えてとりあえず身近で感染リスクの高い人はいなくなった。
その頃からふつふつと湧いてきた感情が、今のうちに感染して楽になってしまいたいという気持ちだった。
周りの人間たちは不毛な議論を繰り返しては今の状況を人のせいばかりにする。
協力しあって乗り越えればよいのに、まるで自分以外のどこかに原因があるかのように好き勝手主張している。
声を大にして言いたいのは、コロナが一向に収束に向かわないのはそういう声の大きな人たちのせいだ。
あなた方が自分の欠点を認めて、異なる考えの人同士欠点を補い合えれば事態はもっと早く良くなっているはずだ。
今の自分の年齢なら、コロナに感染してもぎりぎり軽症ですむ可能性が高い。
ワクチンはまだ1回目だけど、それでもないよりは全然安心できる。
できればもう少し医療機関に余裕があるほうが安心できるが、逆に感染者が増えている今だからこそ、感染しても仕方ないと思ってもらえるかもしれない。
自分でも馬鹿だなと思いつつ、そんなことを考えてここ数週間を過ごしていた。
そしたら見事に感染した。
油断したわけではない。信じてもらえるとは思えないが、世間の人よりはよっぽど気をつけていたほうだ。
検査で陽性を告げられた時、これからどうなっていくのかという不安よりも、ほんの少しだけ嬉しさが勝った。
人より対策していたことは皆も知っていたので、驚きとともに温かいねぎらいの言葉をもらう。
2週間、だれに遠慮することなく休める。
もともと引きこもり体質なので、外に出られないことは一切苦にならない。
あとは症状がどこまで軽症で済むかどうかが問題だ。
幸いにしてほぼ発熱のみの軽症で済んだ。ワクチンが効いたのだろう。
辛かったのは最初の数日だけで、あとは割と元気だった。
ただ、気力が伴わないので、難しめのゲームや映画など精神力を使うものは一切やる気が起きなかった。
自宅療養期間も終わり、社会復帰した。
皆に心配され、軽症で済んでよかったと喜ばれた。
そして何より、もう、表向きの感染対策だけで、向こう半年は感染を気にしないで済むことが死ぬほど清々しかった。
ウィルスを撒き散らさないために手指の消毒や手洗いは相変わらず続けている。
でも、それが自分が感染しないためなのと、人を感染させないためなのとでは気持ちのゆとりが全然違う。
そこに恐怖はない。
こんなにすっきりした気持ちになれたのは本当に何年ぶりだろう。
そう思った時、やっぱり自分はコロナに感染したかったのだと思った。
きっと世の中にもそう考えている人は少なくないはずだ。
絶対に感染したくない人と感染したいと願う人とでは、会話なんかが成り立つわけがないと思った。
年に数回だけど必ず一緒に遊びに行っていた友人も早く感染すればいいのに。
そうしたら二人で、誰に遠慮することなくまた遊びに行くことができる。
ほんの数パーセント、重症化というリスクがついてまわるロシアンルーレットのようなギャンブルだけど。
生存バイアスで満ち溢れた今、皆に勧めたくなるこの抑えられない気持ちを理解してもらえないだろうか。
この清々しさをみんなにも感じてもらいたいと心から思ってしまう自分を否定することは難しい。
自分は運良く生き延びた。
その駄文は3行も要らないよね?
いや、寛解後も感染対策はちゃんとしてください